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これは、2017年2月12日(日) 15:00~15:30に、NHK BSプレミアムで放映された「ザ・プレミアム・知られざる古代文明~マヤ・密林に隠されたピラミッドと石舞台~」である。
メキシコやホンジュラスのマヤ文明については多少の知識があったが(参考)、グアテマラのマヤ文明については今まで何も知らなかったので、急いでメモを取った(参考)。 【リポーター】佐藤健,【語り】古野晶子:俳優・佐藤健の話がなかなか面白かった。 この番組の前宣は以下のとおりである。 俳優の佐藤健さんの案内で、新たなる科学技術の挑戦を追う古代文明シリーズ。第2弾は中米マヤ文明。マヤ文明の遺跡の多くが密林地帯にあり、樹木に覆われて未発見のままだ。そこで茨城大学が中心となって上空から最新鋭レーザー観測を実施、未知なる神殿ピラミッドらしい痕跡をいくつも捉えた。また、近くの陥没湖でも掘削調査を行い、湖底の堆積物から当時の環境を細かく再現しようと取り組んでいる。マヤ文明盛衰のドラマに迫る。Ⅰ.ティカル遺跡 リポーター・佐藤健を案内するのは、茨城大学青山和夫教授。紀元前800年と言われていたセイバル遺跡が紀元前1200年に遡ることを発表して有名になった学者である(参照)。 マヤは王を戴く都市のネットワークで、統一国家を作らなかった。 高い建築物を作ろうとすると自然にエジプトのようなピラミッド型になってしまう。 ティカル遺跡の1号神殿(↓)は高さ47mのピラミッドだが、マヤ文明では鉄器がなかったので、神殿はすべて石の道具で作られた。 ![]() ![]() ![]() またティカルが「大河なき古代文明」だったことは特異的であり、他の古代文明がすべて大河文明だったこととは異なっている。 5月から10月の雨季に降った雨水は、そのままでは水を通しやすい石灰岩を通って流れていってしまう。このためティカルでは、町に降ったすべての雨水を水を通さない漆喰で固めた高台から、漆喰を塗った低地の貯水池へ流していた。このようにティカルは「雨水に頼った文明」だったのである。 ティカルの神殿では、冬至の太陽は右側の建物の真上から昇り、夏至の太陽は左側の建物の上から昇り、春分と秋分の太陽は中央の建物の上から昇ることになっていて、種まきの時季が分かるようになっていた。 このようにして定められた「暦は政治的な道具で権力の源」だった。 太陽の力の利用は、2つの遺跡を東西に結んだ直線上に置くことによってもなされた。こうすれば王が住む建物の上から太陽が昇ることになるのである。 Ⅱ.忘れ去られたティカル ティカル遺跡は、現在は樹木に覆いつくされていて、ピラミッドの存在も分からない。 グアテマラのジャングルの中には、見つかっていない遺跡が沢山ある。 この忘れ去られたマヤ遺跡を発見するのに重要な役割を果たすのは「ライダー技術による土地起伏図作成」である。 実際には、小型飛行機から地上にレーザーを発射し、その往復時間から土地起伏図をコンピューターで作成するのである。 研究者がこのようなライダー技術を使って発見した構造物は現在まで15,000余である。 番組では、ライダー技術を使ってセイバル遺跡内に発見された構造物の実地調査の状況が詳細に報告された。 猛毒の蛇が住むジャングルでは、調査員の位置を知るには3D地図をセットしたGPSが頼りである。 この調査では、ライダー技術を使って発見したピラミッドと思われる場所から石が多数出てきた。 さらに、人間が加工したと思われる土器のかけらも出土した。担当研究員は「これは香炉に違いない」と興奮していた。 あらかじめライダー技術で認めた「基盤」が「石舞台」であると考えて、翌日、発掘調査が行われが、これは空振りに終わった。 Ⅲ.マヤ文字の解読 マヤ文字の解読はマヤ文字が刻まれた石碑を使って行われている。 現在まで見つかったマヤ文字は4,000~10,000とされているが、マヤ文字の総数は不明である。 マヤ文字には「表意文字」と「表音文字」がある。このことは日本語と同じであり、表意文字に篇や旁があることは漢字に似ている。 ![]() このように、マヤ文明人は東アジアで仲間分かれしたホモサピエンスの子孫なのである。したがって、マヤ文字と東アジア文字に共通点があることは決して不思議ではない。 Ⅳ.マヤの品々 「グアテマラ国立考古学民俗学博物館」に保管されている6世紀の《王の仮面》(↓)や7世紀《ティカルの王墓副葬品》2点(↓↓)は「翡翠製」である。 ![]() ![]() BC800年頃の《緑石製磨製石斧》(↓翡翠)は、マヤ人の主食だったトウモロコシの形をしている。日本人が初穂を捧げるなど稲を大切にするように、マヤ人はトウモロコシを大切にしていたのである。 ![]() ボナンバク遺跡の壁画(↓)を見ると、戦っているのは王と貴族であり、民衆は戦っていない。戦争では、敵王を生け捕りにして生かしておいて、敵国に跡継ぎの王を作らせなかった。 ![]() マヤ文明の衰退は、9世紀くらいに始まり、10世紀にはセイバル遺跡が放棄されている。 その理由としては、①人口過剰説、②環境破壊説、③戦争説がある。 セノーテ(泉)の潜水調査(鳴門教育大学)では、おびただしい数の頭蓋骨が見つかっている。頭蓋骨の傷や剝皮した跡から考えて、雨の神に対して人間の生贄がなされたと考えられる。 これは雨乞いのように思われるが、花粉の研究では、雨が多いとトウモロコシの出来が悪くなり、雨が少ないと熱帯樹の花粉が増えているので、雨が多すぎるのが問題だったのかもしれない。このように、マヤ文明は環境の微妙なバランスの上に成り立っていた。 ペテシュバト湖の堆積物分析から環境変動が調べられている。これによって、雨が多すぎたのか、少なすぎたのか、あるいは他のファクターがあったのかはこの調査の結果で判明する。 マヤ文明の衰退の原因としては、他から新しい病気が持ち込まれたことも考えられる。16世紀にスペイン人が侵略してきた際には、天然痘やチフスの感染が生じた。 しかし「マヤ文明人」は生き残り、「現代マヤ人」の数は「800万人」である。この数はなぜか「グアテマラの現在人口1200万人」よりも多いが、これは「現代グラテマラ人」の大多数が「マヤ文明人」の血を受け継いでいるためなのだろう。 Ⅵ.フローレス島~マヤ文明の終焉の地 ここはマヤの歴史にとって非常に重要な意味を持っている。スペイン人はメキシコに続いてグアテマラも征服し、1500年代前半にはマヤの部族の大半はその軍門に下った。 ところが、当時、フローレスを中心とした地域を支配していたイッツア族だけはスペイン人の降伏勧告を受け入れず、抵抗を続けた。 1697年3月13日、ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアは、イッツア族に降伏を促すため、軍船でフローレス島に向かった。 これに対し、イッツア族のカネック王は降伏を拒否して戦ったが、圧倒的な火力を誇るウルスア軍の前に、短時間でイッツア族は鎮圧された。つまり、この日が古代マヤ文明の最後の日となったのである。 スペインの征服者は、このマヤ文明終焉の地に、マヤの建物を壊してカトリック教会(↓)を建てた。しかし、多神教を信じていたマヤ人はカトリックに改宗せず、「カトリックは宗教が一つ増えただけ」と捉えた。 ![]()
by cardiacsurgery
| 2017-02-13 13:57
| 国外アート
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