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日曜美術館で「熱烈!傑作ダンギ 等伯」を聴いた。
![]() 【司会】井浦新、伊東敏恵 長谷川等伯は、水墨画の極致《松林図屏風》から色彩あふれる《楓図》までの多彩な作品を残し、戦国時代、自分一代で頂点まで登りつめた希代の絵師で、「下剋上絵師」と呼ばれている。 近年、新たに水墨画が発見されたため、長谷川等伯に改めて関心が寄せられている。 能登の絵仏師・長谷川信春すなわち等伯は、1539年、戦国大名畠山家の家臣・七尾奥村家に生まれたが、幼くして染色業を営む長谷川家の養子となった。 等伯は、10代後半頃から、仏画を描いていた養父の長谷川宗清(宗浄)や養祖父(無分・法淳)から絵の手ほどきを受け、法華関係の仏画や肖像画を描き始めた。 もともと武士の家に生まれながら、染物屋に養子に出された等伯は、養家の染物の仕事に甘んずることなく、日本一の画家を目指した。 今回等伯ダンギに参加したのは3人のゲストは「長谷川等伯の本質」を次のようにまとめた。 ・コシノヒロコ:時代が求めるものにとても敏感なデザイナー ・安部龍太郎:一代で道を究めるとはどういうことかを教えてくれる芸術家 ・おかざき真里:等伯作品は少女マンガ 傑作その1:国宝《楓図》@智積院 《楓図》は、豊臣秀吉が三歳で夭折した長男・鶴松の菩提を弔うために、狩野派ではなく等伯に依頼した。この依頼は堺の商人で茶人である千利休(↓等伯筆・重文)とのつながりによる。 ![]() ![]() ・コシノ「レイアウトの大胆さが好き。見た瞬間大胆さに惹かれて足を止めるのですが、じっくり見てるとものすごく細かい。葉っぱも花も一色だけではなく何色か重ねながらぼかしながら凝っている」 ・おかざき「細かく描かれているが、見ていると胸がキュッとなるような寂しい感じが漂うのです。でもそれが少し心地よい。少女漫画は共感性が大切で狩野派を少年漫画のような元気良さとすると等伯は少女漫画と感じます。障壁画って背景です。狩野永徳の絵は戦国武将が前に立つと似合うような荒々しさであるのに対し、等伯は見る側が真ん中に行ける。寂しい気持ちを抱えた人間がそのままその部屋の真ん中にいていいよと言ってくれるような作品です」 傑作その2:《仏涅槃図》@石川・妙成寺 等伯は制約の多い仏画を制作せざるをえなかったが、それでも《十二天図》(↓)の台座に龍を描くなどしていた。 ![]() 釈迦の衣には細かな装飾が描きこまれ、釈迦の弟子には濃い陰影が施されている。 等伯の作品には線描の下書きが残っており、この絵の制作にあたり、等伯は無文の涅槃図を参照してたことが判る。等伯は、無文の作品の鳥の数を増やしたり、麻耶夫人の傍に御付きの女性を描き加えたりした。 ![]() ・安部「真ん中のお釈迦様だけはしかたがないから従来の方法でおとなしく描いたのでしょう。そこは変えられないが周りの人は描きたいものが描ける」 ・おかざき「周囲の嘆きが強く出ている」 傑作その3:《松竹図屏風・猿猴図屏風》@京都造形芸術大学蔵・石川県立七尾美術館寄託 2015年に発見された水墨画。参照 ![]() ![]() ・安部「この猿の絵は、先立った息子や妻への等伯の鎮魂の作品のように思われます」 番組内に、長谷川派の「絵手本」が登場して驚いた。絵手本の中には多数の動物の絵があり、猿も描かれていた。 傑作その4:国宝《松林図屏風》 @東京国立博物館 ![]() ・井浦「思わず前で立立ち止まってしまうパワーの強い絵」 ・おかざき「私は今もこの絵のことはわからない。下絵だって言う説もありますが、この絵を見て何かを悟れっていうレベルに私はない。ある意味悟りの境地。あれだけ細かく絵を描き、人の嘆きを描いてきた人があえて描かない。描かないのはどういう決心なのかと思いました。仏教の最終目的は全てを捨てていくことで、それをめざした絵だと思います」 ・安部 「この世とあの世をつなぐ絵なのだろうと思います。遠くに描いてある雪山がおそらく涅槃の世界で、松は人ではないかと思います。その涅槃に向かう生者の行進ではないでしょうか。涅槃に向かってこの世での役割を追えた人が静かに歩いて行く。それを空気感で包んでいくという構図だろうとみているんですけどね」 ・コシノ「目で追ったときすごいパワーを感じる。優しさとパワーが交互に入っていて見る人によっては心の安定を感じることがあるかもしれないが、私はすごい厳しいものを感じました、近くで見ると心がざわつきます。私はこれを見て等伯の人生が見えてくる、絵描きとしての人生が見えてくる気がします」 傑作その5:重文《山水図襖》@高台寺・円徳院 ![]() 通常の桐模様の唐紙の上に描いたものであるが、見事な出来栄えの冬景色である。元来、方丈に襖絵は要らないとしていた春屋宗園も驚いて、そのままにしておいた。 これは【司会】井浦新のお気に入り作品。 ・井浦「襖の雲英摺が雪に見える」 ・おかざき「4駒マンガのよう」 ・井浦「等伯は、吹き付ける雪を笠で防いでいた自分たち親子3人の姿を思い出している」 等伯は、1610年、徳川家康の要請により次男・長谷川宗宅を伴って江戸に下向するが旅中で発病し、江戸到着後2日目に病死した。享年72。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-02-06 16:07
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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