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太田記念美術館の歌川広景展のことはすでにブログに書いた。
この展覧会には歌川広景作の《青物魚軍勢大合戦之図》が出ていた。3枚続の錦絵(36×77cm)である。(↓)の図をクリックし、さらに⊕印をクリックするとかなり拡大します。 そこで、この絵の「青物」はコレラを予防する食物、「魚」はコレラを伝染する食物で、絵では両者の戦いをを示しているとされているが、後述するように、実際にはこれは青物と魚の戦争に見立てた江戸幕府内の「南紀派」と「一ツ橋派」の争いの風刺画である。 この絵解き図を(↓)に載せる。この図もクリックし、さらに⊕印をクリックするとかなり拡大する。 右下から空豆之進(ソラマメ)、茄子三郎(ナス)、桑井永之進(クワイ)、甲斐武道之助(ブドウ)、宇利三郎(マクワウリ)、水瓜赤種(スイカ)、百合根十郎(ユリネ)。 左側の魚軍は、右の方から鰈平太(カレイ)、ほうぼう小次郎(ホウボウ)、海底泡之助(カニ)、初鰹之進(カツオ)、佐々井壷八郎(サザエ)、蛸入道八足(タコ)、戸尾魚次郎(トビウオ)、鯰太郎(ナマズ)、味物鯛見(タイ)、大鰭鮪之助(マグロ)、ふぐ三郎腹高(フグ)。 もちろん青物軍(vegetarian)優勢の合戦である。 この絵は、このようにコレラが大流行した時期に「食べていいもの」と「いけないもの」とが戦ってる絵に見えるが、当時の人が見れば一目で「南紀派 vs 一橋派」の「十二代将軍家慶の跡目争い」すなわち「安政の将軍継嗣問題」という将軍家の御家騒動と分かる。 候補者の一人は紀州藩主「徳川慶福」であり、もう一人が「一橋慶喜」で、慶福支持派は「南紀派」、慶喜支持派は「一橋派」と呼ばれた。 開明派の「一橋派」を構成するのは、福井藩主松平慶永(春嶽)、島津斉彬、伊達宗城、土佐藩主山内豊信(容堂)、水戸斉昭、老中阿部正弘。 守旧派の「南紀派」を構成するのは、井伊直弼、譜代大名グループ、大奥。 「南紀派」としては、紀州の産物「蜜柑」は紀州出身の「徳川家福」、「藤顔(冬瓜)」は「橘」の旗差物を差した「井伊直弼」を表しており、画面の「青物=南紀派」である。 一方「蛸」は水戸名産で「水戸斉昭」、「鯱」は一橋門の飾りで「一橋慶喜」、越前の名産「鰈」は「松平春嶽」、「鰹」は土佐の「山内容堂」を表し、「魚=一橋派」である。 「二股大根」は、「南紀派」でありながら「一橋派」との繋がりもあった尾張の「徳川慶恕」である。 実際には、絵の裏面に各武将の実在名の比定があるとのことである。 井伊直弼は大老に就任すると、通商条約の無勅許調印の断行、一橋派の老中堀田正睦の罷免、さらには将軍継嗣を慶福に決定した。歴史的には「青物軍(南紀派)」の勝利であった。 この絵を描いた歌川広景が、尊王攘夷派グループ「皇国有志連」 に脅されて、文久3年頃には筆を擱いて江戸を離れた可能性が高いことは前報に述べたとおりである。 この「歌川広景」が、明治時代に入って「昇齋一景」と改名して浮世絵制作を再開した可能性があることを以て良しとしたい。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-01-09 15:26
| 浮世絵
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