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2016年1月8日の日曜美術館で「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」が放映された。以下はそのメモ。
これは2017年秋に、大英博物館国際共同プロジェクト「北斎-富士を超えて-」展を大阪で開催されることに関連した番組だった。 【概略】肉筆画を中心に北斎の還暦以降の30年間に焦点を当てる。【番組】葛飾北斎の晩年の代表作「富嶽百景」や小布施の「祭屋台の天井絵」などを紹介しながら、飯島虚心の「葛飾北斎伝」を朗読、北斎75歳から90歳で死ぬまでの「画狂老人卍」の姿を描いていた。 葛飾北斎は75歳から「画狂老人卍」の号を使い始めた。茶も飲まず、酒もたしなまず、いつも貧乏で、ひたすら絵を描くことに打ち込んだ老人だった。飯島虚心が著した「葛飾北斎伝」は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。 番組では、「富嶽百景」や信州・小布施の「祭屋台天井絵」、獅子の姿百態「日新除魔」など晩年の代表作を紹介しながら、「葛飾北斎伝」が伝えるエピソードを朗読し、北斎75歳から90歳で死ぬまでの画狂老人の姿を紹介していた。 【出演】大和文華館館長、あべのハルカス美術館館長・浅野秀剛【出演】北斎館館長・橋本健一郎【出演】東京伝統木版画工芸協同組合理事長・高橋由貴子【出演】摺師・中山誠人【司会】井浦新、伊東敏恵【朗読】平泉成 肉筆画帖 全10図1帖からなる晩年の傑作。肉筆画(紙本着色)でありながら版元の西村屋与八から売り出された。天保5 - 10年(1834年 - 39年)完成=74歳、前北斎為一改「画狂老人卍」筆。天保の大飢饉の最中、版元たちとともに休業状態に追い込まれた北斎は一計を案じ、肉筆画帖をいくつも描いて店先で売らせることで餓死を免れたと伝えられる。 第1図「福寿草と扇面」 《富嶽百景 海上の不二》への道程(↓) ・北斎が1803年に制作した《賀奈川沖本杢之図》では、神奈川沖合の波と押送船を扱っている。 ・北斎が1805年に制作した《おしおくりはとうつうせんのづ》は、西洋の銅版画に影響を受けた画風で、神奈川沖合の波と押送船を扱っている。 ・北斎が1831年頃 に制作した《神奈川沖浪裏》は、「冨嶽三十六景」の一つで、神奈川沖合の巨大な波と翻弄される押送舟の背景に富士山が描かれている。 ・北斎が1834年に制作した《富嶽百景 二編九丁 海上の不二》(↓)では、砕け散る波頭は千鳥の群れと一体となって遠方の富士の峰へと降りかかっており、押送舟は略されている。 「富嶽百景」には「冨嶽三十六景」からの発展がみられた作品が含まれている(例:↓↓では、↓の空の部分が略されている)。 己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし 七十三才にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり小布施《祭屋台天井絵》信州小布施の高井鴻山は、江戸遊学の折北斎と知り合い門下となっている。この縁によって83歳の北斎が小布施の鴻山屋敷を訪れた。以来、北斎の当地への訪問は4度にわたり、逗留中は鴻山の全面的援助のもとで肉筆画を手がけ、独自の画境に没入していった。このとき描かれたものが、小布施の町の「祭り屋台の天井絵」であり、「岩松院の天井絵」である。 北斎84歳の天保13年(1842)から翌14年ころにかけて、毎朝日課として魔除けの獅子を描いていた。北斎の命名になる「日新除魔」とは、日を新たに魔を除くことを意図しており、注文画とは異なり私的な作画だけに、伸び伸びとした筆づかいが見られ、北斎晩年の画技の確かさを窺う好資料ともなっている。 番組では「北斎は当初は毎朝描き捨てていたが、娘・お栄がこれを慌てて拾っていた」とされていたが、お栄や弟子たちが拾い集めた絵の数は230枚余りにも及んでいた。弘化4年(1874)、これらの作品をまとめて「日新除魔」と名付け、信州松代藩士・宮本慎助に与えられた(参照)。 《七面大明神応現図》妙光寺蔵:北斎88歳の作。日蓮聖人が身延山頂で説法を行った際、美女が熱心に聞いていた。聖人が水をかけると、その美女は龍になり、飛び去った。 《富士越龍図》北斎館蔵:北斎90歳の作。北斎の絶筆と考えられている。富士山から黒雲に乗って昇っていく龍は北斎の化身のようである。
by cardiacsurgery
| 2017-01-08 16:58
| 浮世絵
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