記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
2016年12月9日は夏目漱石の百回忌。
漱石ファンである「美術散歩 管理人 とら」も一筆残しておきたい。 Ⅰ.夏目漱石と真鍋嘉一郎 真鍋嘉一郎(↓右)は夏目漱石(金之助 ↓左)が松山中学で教鞭を執っていたころの生徒である。 頑固教授として知られ、「わしの論文を審査できる教授は帝大にはおらん」と博士論文を一切出さず、東大教授でありながら博士号を持たない初例となった。 学位より臨床に重きを置く真鍋のもとを、多くの著名人が患者として診察に訪れた。大正天皇・浜口雄幸・夏目漱石などの主治医を務めたのも真鍋である。 Wikipediaで真鍋嘉一郎を調べると、下記の文章が出てきたので、引用させていただく。 真鍋の中学時代には、新任の教師に意地の悪い質問をぶつけてその器量を確かめることが流行っていた。当時から秀才の呼び声高かった真鍋はそうした生徒の先頭に立って難問を投げかけ、新任教師を教壇の上で立ち往生させてしまうこともままあった。 級長をしていた5年生のとき、夏目金之助という新任の英語教師が来るというので、真鍋はイーストレーキ・柵橋一郎訳のウェブスター英和辞書を徹夜で引いて十分に予習をしておき、翌日の英語の時間に備えた。 授業が始まり夏目が悠々と教材の講義を始めると、はたして夏目の訳に辞書の訳とは異なるところがあった。しめたとばかり真鍋はいきなり手を挙げ「先生違います」と叫んだ。「何が違うか」とおもむろに本から目を上げて真鍋の方を見る夏目に、真鍋がすかさず「先生の訳にはウェブスター英和辞書の訳と違っているところがあります。それも二箇所もあるのです」と鬼の首を取ったようにあびせかける。 ところが夏目はこともなげに「ああそうか、それは一つは辞書の誤植、一つは明らかに著者の誤解だ。二つとも僕の云ったように直しておけ」と言ったまま、またすらすらと講義を続けた。出版物に間違ったことが書かれているはずはないと信じていた真鍋はこれに返す言葉もなく、逆に自席で立ち往生してしまった。 のちに大作家となり漱石と号すこの教師の授業ぶりに、真鍋は敬服し強く感化されたと述懐している。 真鍋が日本医学放射線学会の会長になった頃、漱石からの願いで真鍋はその主治医となっている。晩年胃潰瘍を悪化させ動くこともままならなくなった漱石は、「真鍋さんを呼んでくれ、真鍋さんは悪くなった時来て診て貰う約束があるんだから」と往診を依頼、医療・学会・講義と多忙な日々を送っていた真鍋はそんな漱石に毎日時間を割いて夏目邸に往診した。 その真摯な姿を漱石の妻・鏡子は「傍の見る目にも実に一生懸命なもので、御自分の身が細る程尽して下さいました」と述懐、真鍋の表情ひとつで夫の容体が手に取るようにわかるためその顔を見るのがむしろ怖ろしい位だったという。真鍋はこの鏡子とともに漱石の最期を看取っている。 Ⅱ.夏目漱石の美術世界展 2013年に東京芸術大学大学美術館で開かれたこの展覧会を二回訪れて、それぞれについて詳報を書いている(初訪、再訪)。 グルーズの《少女の頭部像》↓が出ていた。 漱石はこういったvoluptous(色っぽい)女性が好きだったようである。「三四郎」の女性にも影響しているのだろう。グルーズに関する文は以下の通り。 二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶えんなるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪たえうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。 若冲《梅と鶴》↓は前回見られなかった一本足の鶴。 横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠っている。Ⅲ.漱石「草枕」の小天温泉 これは熊本美術散歩の記事。その冒頭の文章を以下に再録する。 熊本旅行2日目のこと。熊本交通センターから河内経由玉名行の路線バス(10:25)に乗って、夏目漱石ゆかりの「小天温泉」に向かった。「草枕」の冒頭の文章はあまりにも有名。 山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。漱石は山越えで小天温泉に達したが、私たちは海沿いのバス。 Ⅳ.図解 名取春仙の三四郎 これは連載記事であるが、ここではその第一回記事の冒頭の一部を再録する。 有名な夏目漱石の小説「三四郎」は、1908年9月から12月まで、東京朝日新聞に117回にわたって連載されたものである。今回、106年ぶりに朝日新聞に再掲載されたのを機会に、名取春仙が描いた挿絵について、本文と照合しながら、それぞれの図解を試みた。 1.明治41年9月1日 三四郎(第一回)一の一: 車中で寝ている三四郎の前の席では、京都から乗った女と背中に灸のあとのある老人が話している。挿絵右下の子供の玩具は、女が京都の蛸薬師のそばで買ってきたもの。 ・第1章 ⇒ クリック ・第2章 ⇒ クリック ・第3章 ⇒ クリック ・第4章 ⇒ クリック ・第5章 ⇒ クリック ・第6章 ⇒ クリック ・第7章 ⇒ クリック ・第8章 ⇒ クリック ・第9章 ⇒ クリック ・第10章⇒ クリック ・第11章⇒ クリック ・第12章⇒ クリック ・第13章⇒ クリック 美術散歩 管理人 とら 【追記1】2016年12月10日、NHK・BSプレミアムで「漱石悶々」を見た。参照⇒こちら 【追記2】記事「漱石のどんでん返し」はこちら
by cardiacsurgery
| 2016-12-09 14:05
| アート一般
|
ファン申請 |
||