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これは本邦初の「クラーナハ展」である。この展覧会については、10月にクラーナハの画を鑑別する「自分の眼」というタイトルのブログ記事を書いているが、12月2日(金)のTVで「ぶらぶら美術館 クラーナハ展」(解説者:国立西洋美術館研究員・新藤淳さん)を見て学ぶことが多かったので、改めて「クラーナハ展」の全貌を俯瞰する記事を書くこととした。
「クラーナハ展」の展示は6章に分かれている。 第1章 蛇の紋章とともにー宮廷画家としてのクラーナハ 1504年、クラーナハはザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公により、それまで活動していたウィーンで宮廷画家にスカウトされ、ザクセン公国の都ヴィッテンブルグに居を移した。 クラーナハは、この地でキリスト教の物語や古代神話を題材とした絵画や版画、選帝侯の肖像画や祝祭の光景を制作していった。 この際、クラーナハは自身の工房を次第に拡張し、弟子である職人とともに大量生産する体制を整えていった。 新藤淳さんは、「パターン化・類型化はクラーナハのキーワードで、大工房でいち早く大量生産し、分業しながらクラーナハ・ブランドを作り上げていった」と述べている。 クラーナハは1508年にザクセン選帝侯から蛇の紋章を授けられたが、この紋章が工房の商標として工房作の作品にも描き込まれたため、クラーナの本人の作品か否かを鑑別する根拠とはなりえない。 ・《ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公》1515年頃 コーブルグ城美術コレクション:ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公(在位1486‐1525年)は、ザクセン選帝侯位であるが、神聖ローマ皇帝選挙権者(7人)の一人であり、さらに帝国の最高顧問の地位も世襲していた。 ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公が創設した「ヴィッテンブルグ大学」でマルティン・ルターが学んでいた。 この肖像画では、顎ひげをたくわえ、金色の頭巾を被った選帝侯が祈りを捧げているが、これは1907年頃にクラーナハによって実写され定型化された公的な肖像画の形式に基づいている。 クラーナハは、自分の周辺の宮廷人・政治家・人文主義者など時代のキーパーソンの肖像画を多数描いた。 ・《ザクセン公女マリア》1534年 リヨン美術館:ポンメルン=ヴォルガスト公・フィリップ1世とザクセン公女・マリアの婚約を機に制作されたもの。ダルムシュタットのヘッセン州立博物館に異作がある。 ぶらぶら美術館の山田太郎によると「クラーナハの描く女性は皆似ている」とのこと。これが当時の美人だったのである。「ボヘミア風美人」だろうか。 膨らんだ袖の丸みのある切れ込みは、最初は布に伸縮性を与えるために開けられたものだったが、そのうちに本図のようにファッションとなったとのことである。 クラーナハは、ネックレス・コルセットの結び目・立ち襟などを当時の宮廷モードで描いている。 みずからの芸術を一種の経済活動と捉えていたクラーナハにとって「版画」によって多数の人々に描いたものを届けることは「絵画」以上に重要であった。 ・《聖クリストフォロス》1509年頃 アムステルダム国立美術館:巨人クリストフォロスは肩に男児を載せて河を渡ろうとしていたところ、その男児の体が次第に重くなってきてほとんど圧し潰されそうになった。実際にはおの男子はキリストだったのである。 クリストフォロスとは「キリストを担う者」の意で、中世以降のドイツにおいて、「疫病や突然死から守る聖人」とされ、巡礼者や旅人が版画を携帯するなど人気を博した。 本作では、聖クリストフォロスの巨体は男児の重みに耐えかねてピラミッド状に押しつぶされ、右手は爪を立てて岸にしがみついている。 本作は「多色刷り木版(キアロスクーロ)」で、2枚の版木を黒色と褐色で使い分けている。 官能的に描かれた女性の裸体像はクラーナハの最もよく知られた作品群である。 宗教改革の成功は、宗教画の需要を減らし、新たに異教の女神たちの裸体画がもてはやされることとなった。これらは黒バックでサイズが小さく、男性が私室で秘かに見ていた可能性がある。 山田太郎曰く「裸なのにアクセサリーを着けていたり、シースルーの布を羽織っていたり、現代のエロティシズム絵画を先取りしている」。 ・《ルクレチア》1529年 ウィーン造形芸術アカデミー:ルクレチアの身体は透明なヴェールで覆われているが、これによって裸性によるエロチシズムがかえって強調されている。 樹木には弓と矢筒が吊り下げられ、その下方には番のヤマウズラが描かれているが、これらは狩猟の女神ディアナの存在を暗示している。 「女のたくらみ」あるいは「女のちから」を主題とした作品群である。 ・《不釣り合いなカップル》1930/40年頃ウィーン美術史美術館:年老いた男が金品によって若い女の愛を買おうとしている姿が描かれている。 ・《ヘラクレスとオンファレ》1537年 トゥルーズ、バンベルグ財団:王女オンファレの美貌の虜とによってなり、羊毛を紡ぐ羽目に陥ったヘラクレスのだらしない顔が印象的である。 ルターが成功したのは聖書をラテン語からドイツ語に翻訳したからであるが、クラーナハはそこに出資したり、版画や出版事業に関わることによって宗教改革に大きな役割をはたした。 ・《マルティン・ルター》1525年 ブリストル市立美:クラーナハはマルティン・ルターの肖像画を描くことによって宗教改革運動に「顔」を与えたといえる。これは妻・カタリナ・フォン・ボラの肖像画と対をなすものであったが、妻の画は今は失われている。 このルターと妻のポ-トレートは何十枚も描かれた。「聖職者も妻帯を認める」というプロテスタントの宣伝になったのである。 16世紀、謎めいたヌードを描き続けたルカス・クラーナハ(1472~1553)。500年たった今も、見る者たちを“誘惑する”その絵の魅力をひもといていく。【ゲスト】ドイツ文学者・中野京子 【出演】美術家・森村泰昌、国立西洋美術館 研究員・新藤淳、画家・塩谷亮 【司会】井浦新、伊東敏恵 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2016-12-04 22:14
| ルネサンス
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