第68回正倉院展は10月22日〜11月7日、奈良国立博物館に於いて開催中。 今週の日曜美術館はこれがテーマで、サブタイトルは「至宝が伝える天平の技術」である。その概要を以下に引用させていただく。
ペルシア風の水差し「漆胡瓶」はどのように作られた?不思議な金属塊は何を物語る?奈良国立博物館で開催中の「正倉院展」に出陳されている、宝物の「謎」を読み解く。
古都・奈良にある正倉院。東大寺を創建した聖武天皇遺愛の品や、壮麗な仏教儀式の法具などが納められている。それらの至宝を間近に見ることができる「正倉院展」が、今年も奈良国立博物館で開催されている。唐で作られたというペルシア風の水差し「漆胡瓶」や、聖武天皇の一周忌で使われたという巨大な飾り「大幡」などの宝物からは、当時の日本が懸命に世界最先端の工芸技術を取り入れようとした苦闘の跡が読み取れる。
【ゲスト】奈良国立博物館学芸部長…内藤栄,【ゲスト】工業デザイナー…喜多俊之,【司会】井浦新,伊東敏恵
最初に、奈良国立博物館の前の入場待ち観客の長蛇の列が出てきた。私が第62回正倉院展を奈良国立博物館に見に行ったブログ記事は
こちらであるが、これほどには並ばなかった。
第68回正倉院展には聖武天皇ゆかりの名品など64件の宝物が展示されているが、主な展示品は下記のようである。
1:浅緑地鹿唐花文錦大幡脚端飾:大幡の脚の先に付けられた飾り。上辺を花形に裁った同文同色の2枚の裂を合わせて大幡脚を挟んでいたもので、現在も脚に用いられた緑錦の一部が覗いている。表裏に用いられた錦は、浅緑の地に、白・黄・褐色・紫・濃緑の5色を用いて文様を織りなした「緯錦」。文様は、花形の中央に一頭の鹿を表した、いわゆる「動物唐花文」の主文と「菱形花文」の副文を五の目に組み合わせた構図になっている。

2:漆胡瓶:丸く張った胴部に鳥の頭を思わせる注ぎ口をのせ、把手とってと台脚を備えた水瓶。黒漆の上に草花などの文様を加飾したササン朝ペルシア風水差し。中国では西方を意味する「胡」を冠して「胡瓶」と称された。750グラムという軽量である。X線透過撮影で正面に横向きの筋が見られ、側面には階段状構造が認められることより、「巻胎(けんたい)」という技法を使っていたことが判明した。巻胎とは、テープ状の木を外から内へと巻き込んで円板を作り、この円板を指で押し出して作成するものであり、この漆胡瓶はいくつかのパーツの巻胎からなっている。全体に黒漆を塗り、文様の形に切り抜いた銀板を漆の面に貼り付ける「銀平脱技法」で山岳や鳥、鹿、蝶、草花などを表している。一般の漆器と異なり、長年にわたって変形やひび割れが起こっていないのは、上述の巻胎技法を使っていたからである。

3:笙:東大寺の諸法会で用いられた管楽器で、底面と竹管の1管に「東大寺」の線刻がある。「笙」は中国南部生まれの管楽器。木製の壺の上に、音律の孔をあけた17本の管を植え、壺の側面に取り付けた吸管で吹奏する。本品では吸口は失われている。管と帯に、自然に斑文を生じた「斑竹」に似せて斑文を描いた「仮斑文」を用いる。壺は黒漆塗に、「銀平脱」で文様が施されている。側面には草花、鳥、腰かけて笙を演奏する人物が、底面には向き合う花喰鳥が表されている。

4:磁皿:天平勝宝7歳(755)7月19日に行われた聖武天皇の生母・藤原宮子の一周忌斎会の際に聖僧供養の食作法に使われたとされる。白と緑色の釉を斑に塗って焼き上げた大型の皿(底裏は白のみ)である。日曜美術館には登場しなかった。

5:唐草文鈴:幡や天蓋などの荘厳具に付けられた飾り金具と考えられる。中倉には「鈴鐸類」と称する鈴や鈴形の玉などが多数残している。明治以降の宝物整理において同じ種類のものを銅線などで括り、一括保存された。当初の用途は不明だが、幡や華鬘、天蓋など仏殿の荘厳具に付けられたものが多いと推定される。本品は通常の形の鈴を銅線で繋いだもの。銅製の半球形を上下より合わせて作り、表面は小さな丸い粒を並べた魚々子文様の上に唐草文を線刻し、鍍金を施している。

6:銀平脱龍船墨斗:この龍頭形の装飾を付けた、船形の墨壺は、きょうの日曜美術館では取り上げられなかった。これは大工道具である。木に大きく穴をあけて墨池を作り、糸車から繰り出される糸がそこを通ることで墨汁が染み込む仕組みになっている。この墨を含んだ糸をぴんと張って弾き、加工材に直線を引くもので、本品は、装飾の豪華さから実際の工具よりも儀式用とする説がある。「銀平脱技法」で斑文や花菱文が施されていたが、ほとんどが剥落している。

7:大幡残欠:錦や綾、組紐など多様な染織技術を駆使して作られた華麗な「染織幡」。大幡全体は10m以上。聖武天皇の棺は、東大寺大仏の前に運ばれ、天皇が仏の世界に入られることを祈ったが、この際に大幡が大仏の高さで翻った。また聖武天皇の一回忌法要では、東大寺のみならず、全国の国分寺や国分尼寺に大幡が掲げられた。

8:アンチモン塊:鉱物・アンチモンのインゴット、日本最古の「富本銭」にも含有することで知られる。現代では、「富本銭」を銅・アンチモン合金、銅・錫合金のいずれでも制作できる。後の時代の「和同開珎」は、初期には銅・アンチモン合金が使われていたが、アンチモンの毒性のせいか、途中から銅・錫合金となった。

9:撥鏤飛鳥形:染色に藍や蘇芳(あるいは紫根)を使用した象牙製の細工物。全長3cmの小さきものである。象牙を飛鳥形にかたどり、1枚を藍色、2枚を蘇芳色に染めている。その上から文様を白く彫り出す「撥鏤(ばちる)」の手法で羽根を表し、目には穴を開け、さらに脚に穴2つを貫通させて紐ひもを通せるようにしている。蘇芳色の一枚には、脚の穴に通した紐が一部残存しており、紐で何かに取りつけたものと想像されるが、用途は不明。

10:白葛箱:アケビの蔓を編み込んであるが、その制作方法は現在では不明。比較的近年作成法が分かった「水口細工」と似ているが、出来上がりが違う。

11:雲鳥背円鏡:唐で制作された鏡。縁起の良い模様が刻されている。国内で作られた「花虫背八角鏡」と模様が同一である。鏡の国内生産が可能になったのは飛鳥時代からで、それ以前には銅の強度を上げる錫が国内になかったため鏡はできなかった。

12:粉地金銀八角長几:上面は緑色の「孔雀石」で、側縁には金や銀の文様が見られる。ヒノキ材製で国内産である。仏前に捧げる献物をのせるための机である。天板は横長の八稜形で、上面は縁を白、中央部を白緑に彩られている。天板側面は白地に銀泥で飛鳥をまじえた草花文が描かれ、下縁には金泥の連珠文が表されている。天板裏に取り付けられた6本の脚は葉がかたどられ、白地に銀泥で葉脈が描かれている。天板の裏面中央には「東小塔」の墨書がある。東小塔は、神護景雲元年(767)に実忠和尚によって東大寺に創建された東西小塔院に該当すると考えられる
美術散歩 管理人 とら