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ネットを検索すると、この第三部も動画で出てくるので、ご用とお急ぎのない方はこれを視聴されても良いだろう。
ここでは、自分が直接TVで視聴したメモを以下に残しておきたい。 徽宗は、日本では優れた芸術家として評価されており、番組では痩金体の書を含む《五色鸚鵡図》(↓)や 詩情溢れる風景画《渓山秋色図》(↓↓)が紹介された。また徽宗は画院を整備し、絵画教育に力をいれた。 ![]() ![]() 徽宗は、恨まれながら遠くから「太湖石」を開封に運ばせ、「艮嶽」という立派な庭園を造ったこともあった。その庭園には、椰子の木が植えられ、多くの鳥や鹿が遊び、雲が湧き出る装置まで供えられていた。 「水滸伝」の英雄たちが、自分たちの力を国に役立ててほしいと徽宗に直訴に及んだ場所は開封の遊郭であり、徽宗は毎晩のように愛人の李師詩と会っていて、「放蕩の皇帝」とまで呼ばれていた。 晁蓋が率いる水滸伝の英雄は、地方から中央の官僚の賄賂として送る10万点の金銀財宝を、これらを運んできた役人たちに痺れ薬を入れた酒を飲ませて強奪しているが、現在も晁蓋の子孫が多数残っている晁蓋の出身地では、この時の晁蓋の行動を農民の代表として高く評価している。 「清明上河図」を見れば分かるように、当時の北宋の都・開封では夜中も城門が開けてあり、街中は大いに賑わっていたが、郊外は貧しく、貧富の差の大きな社会であった。 近年、このような駄目な徽宗の実像に、新たな光が当たりつつある。 北宋では、皇帝が自分の直臣を選ぶために直接「殿試」を行い、地方からも実力者を合格させて士太夫にするなど、科挙の改革を行うことによって、官僚に高い地位を与える「文治主義」を貫いてきていた。 30歳を過ぎた徽宗は、「皇帝は五日に一日だけ政務を執れば良い」(五日一視朝)という官僚に対して「自分は一日中政治のことを考えるようにする」と述べ、自分自身で政務に直接関わるようにすべきだという気持ちになってきた。 その手段として、今まで官僚が書いてきて、自分では署名だけしていた命令書を、徽宗独特の「痩金体」の文字で書くこととした。この命令書は「御筆手詔」と呼ばれるが、これによって権力の存在を表に出せるようになった。部下にも「痩金体」を教えていたが、命令書を改竄した者には刑罰を加えた。 また徽宗は官僚政治を改めるため、政務を摂る場所を官僚が実務を執る「外邸」から離れた「内邸」の一番奥の「宣和殿」に移した。 周辺の遼や西夏との外交に関しても、徽宗と補佐役の「蔡京」を中心とする官僚の間に確執が生じた。 ちなみに、《聴琴図》(↓)には、「徽宗」と「蔡京」が描かれている。 ![]() 徽宗は、福祉の充実に力を注ぎ、身分の低い高齢者のための養護施設「仁先院」、貧困者の医療施設「安済坊」、身分の低い人たちの共同墓地「漏沢園」を各地に作った。 徽宗は、聖人が政治を行った古代中国の祭祀に使われた青銅器を収集して「宣和殿」に保存し、復元作業も行わせている。 これは古代中国の政治や青銅器のことを知悉している官僚たちに「自分が古代中国の政治を引き継いでいること」を見せつけるためであった。 徽宗は、「宣和殿」に6000点の絵画、1000点のコレクションも有していた。 徽宗の時代、都の開封は賑わっていたが、北方では女真族が金を建国し、1126年、金軍は開封を陥落させ、徽宗は欽宗らと共に金に連行された。 この際に、徽宗が集めた絵画や書も持ち去られ、金の皇帝、元の皇帝、明の皇帝、清の皇帝の観賞印が捺された。これらの収集品は、それぞれの皇帝に天命が下ったものとして時代を超えていったのである。 1135年、徽宗は五国城(現在の黒竜江省依蘭県)にて54歳で死去した。そして徽宗は「亡国の天子」と呼ばれるに至ったのである。 【参考】自分のブログを「徽宗」で検索すると、(↓)が出てくる。 ・東山御物の美 その1 @三井記念美術館: 最終週になって《桃鳩図》が出てくるとのことで再訪した。 ここでは《鴨図(伝)徽宗 五島美術館》を鑑賞することができた。羽を繕う鴨の仕草が巧みに表現されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 最終3日間だけ急きょ展示されることになった伝徽宗の《猫図》を見るために、この展覧会の閉幕前日に再々訪した。 この図は、無落款であるが、水戸徳川家の伝来があり、前記の《鳩桃図》と同様の図形であるため、「御物御画目録」に記されている「犬猫 徽宗」の猫に相当するものと考えられている。 ![]() 菱田春草は本図を参照して《白き猫》(↓中)を描いており、岸田劉生も本図を参考にして《猫図》(↓右)を制作している。 ![]() ![]() ・北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展 北宋汝窯の青磁の天青色は台北の故宮博物院で見て以来、頭を離れない。 お気に入りは、↓と↓↓の2点。いずれも素晴らしいスカイブルー。とくに↓は、表面に貫入がまったくみられない世界唯一の青磁ということだった。 《北宋 汝窯 青瓷水仙盆》 ![]() 《北宋 汝窯 青磁蓮花式温碗》 ![]() ![]() ・《桃鳩図》1107年 日本国宝 日本個人蔵 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2016-10-14 09:12
| 東洋アート
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