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そこで学芸員の方から伺った河鍋楠美館長(眼科医、川鍋暁斎曾孫)の念願は、「北斎と並んで国際的に有名な暁斎の作品の多くは海外にある。この美術館に保存されている暁斎の下絵3000枚のうち本絵の存在が分かっているのは1割に過ぎないので、暁斎の本格的な回顧展を開きたい」ということであった。 今回の展覧会のタイトルが「画鬼 暁斎」ということだったので、いよいよ河鍋楠美館長の念願の川鍋暁斎の個展であると考えて三菱一号館美術館に足を運んだのだが、今回の展覧会も「暁斎とコンドルの二人展」だった(図録表紙↓)。 相変わらず前置きが長くなってしまったが、以下が今回の展覧会記事である。 河鍋暁斎 (1831-1889)は、6歳で歌川国芳に入門、9歳で狩野派に転じ、幕末明治にとくに外国人に人気を博した絵師である。一方、三菱一 号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852 -1920)は、お雇い外国人として明治10(1877)年 に来日し、わが国の近代建築に大きな功績を残した。コンドルは日本美術愛好家でもあり、暁斎に弟子入りして絵を学び、暁斎の作品を海外に紹介した。 第1章 暁斎とコンドルの出会い-第2回内国勧業博覧会: ・ジョサイア・コンドル《東京名所之内 上野山内一覧之図》明治14(1881) 河鍋暁斎記念美術館蔵: 明治14(1881)年の第2回内国勧業博覧会は、29歳のコンドルが設計した上野博物館で開かれた。暁斎が描いた錦絵《東京名所之内 上野山内一覧之図》には、イスラム様式の特徴的な帽子のようなドームが描かれている。 第2章 コンドル-近代建築の父: 三菱関係の建築図面が多数出ていたが、建築にそれほど興味のない私の目をひいたのは随分と狭い《鹿鳴館階段》だけ。 第3章 コンドルの日本研究: ここに出ていたのは、コンドルの著作「日本の花」や「日本の庭」と6点の着彩画。その中でのお気に入りは次の2点 ・コンドル《霊照女・拾得図屏風》京都国立博物寄託: 霊照女は父の作った竹製品を町で売り歩いて生活を支えた唐時代の孝女。拾得は箒を持った唐時代の隠者。 ・河鍋暁斎《暁斎絵日記》明治18(1885)年 河鍋暁斎記念美術館蔵: コンドルと暁斎の関係は非常に親密で、2人は何度も写生旅行に出かけている。明治18(1885)年8月1 日の《暁斎絵日記》には、彼らが上野駅で待ち合わせて日光方面に旅立つ姿が描かれている。この《日光出立》の画面では、「コンドル(Conder)」の名前を「コンテエル」と書かれている。 ・コンドル著「川鍋暁斎(Paintings & Studies by Kawanabé Kyôsai)」 明治44(1911)年: 本書は暁斎の没後、コンドルは暁斎の人生と業績を讃えた英文の伝記で、口絵には《大和美人図屏風》の右隻を唯一のカラー図版として使用した。この本により、暁斎の名は西洋で広く知られるようになったのである。 暁斎の《動物画帖》が、この章の最初のセクションで、「英国人が愛した暁斎作品-初公開 メトロポリタン美術館所蔵作品」と銘打たれた12点見ることができた。これらに関しては、図録に萬美術屋・安村敏信氏とメトロポリタン美術館学芸員のジョン・カーペンター氏の優れた論考が載っており、読み応えがあった。 これらはコンドルと暁斎の共通の友人であった海軍砲術の御雇外国人・フランシス・ブリングリーを経て、アメリカの実業家ステュワート・S・スミスの手に渡り、彼の没後メトロポリタン美術館に寄贈されたものである。58歳で亡くなる前年頃に描かれたものと推定されているが、卓越した筆さばきと大胆な構図を見ることができた。 この12点のうち11点には《英国人画帖下絵》が残っており、この下絵に基づいた別の画帖がコンドル旧蔵品のなかにもあったことの証拠が残っているが、残念ながら、こちらの方は現在行方不明とのことである。 ジョン・カーペンター氏によると、この「動物画帖」には、36図の川鍋暁斎の作品の他に、橋本雅邦・川端玉章・渡辺省亭・岡田梅村・大出東阜・関袖江の作品が含まれており、全部で100図が集められているとのことである。 以下の画像は、左が「動物画帖」メトロポリタン美術館蔵、右が「英国人画帖下絵(部分)」である。 1.川鍋暁斎《うずくまる猿図》: 太湖石の上で背中を丸めながら眠る猿の母子像。猿の顔・耳は淡い赤、背景は金泥のやすり雲。「戌子仲春・暁斎書」の款記が入っているので、明治21年2月に描かれたものであることが分かる。 その他のセクションとしては「道釈人物図」、「幽霊・妖怪画」、「芸能・演劇画」、「動物画」、「山水画」、「風俗・戯画」、「春画」、「美人画」など暁斎の多彩な画題の画が数多く展示されていたが、今までに見たことのある作品も少なくなかったので、ここでは数点の「幽霊・妖怪図」と「風俗・戯画」をあげるに止めたい。 ・河鍋暁斎《九尾の狐図屏風》明治3(1870)年以前 河鍋暁斎記念美術館蔵: 描かれているのは、酒席で行われた「括り遊び」で、日本を象徴する富士山を餌にして、中国と天竺の妖怪・九尾の狐を捉えようとしているところである。 美術散歩 管理人 とら 【付記】 川鍋暁斎の能・狂言画 @三井記念美術館(ブログ記事 2013-05-13)
by cardiacsurgery
| 2015-07-04 11:33
| 近代日本美術
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