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![]() 常設展会場の第6室では、「天才ダ・ヴィンチの秘密」という夏休み企画が開かれていた。これはダ・ヴィンチが考案した機械模型とそのもとになった手稿のファクシミリ版が多数展示された贅沢な企画だった。 さらに視聴覚室ではNHKエデュケーショナル制作の「アンギアーリの戦い」が放映されていた。これは本日の日曜美術館を先取りしたような映像だった。 1章 歴史的背景~アンギアーリとフレンツェ共和国 テーマ1‐1:1440年6月29日、アンギアーリの戦い ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() テーマ1‐2:シニョリーア宮殿の大評議会広間: ・デッラルティッシモ《ピエロ・ソデリーニの肖像》(↓左): 1501年にフィレンツェ共和国の国家主席となったソデリーニは、1503‐04年に、レオナルドとミケランジェロにシニョリーナ宮殿大評議会広間の壁画制作を委嘱した中心人物。 ![]() 2章 失われた傑作~レオナルドの《アンギアーリの戦い》への手がかり テーマ2‐1:《アンギアーリの戦い》をめぐる文書資料 ・「アトランティコ手稿」第202葉: これはマキアヴェリの部下のアゴスティーノ・ヴェスプッチが書いた《アンギアーリの戦い》に関するレオナルド・ダーティの詳細な記述であるが、これがレオナルドの手稿の中に含まれているという事実は、フィレンツェ政府がレオナルドに描くべき戦闘の概要が伝えられたということを示している。 ![]() ①フィレンツェ側の指揮者・傭兵隊長その他の個人名テーマ2‐2:壁画《アンギアーリの戦い》 ・作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)《タヴォラ・ドーリア》(《アンギアーリの戦い》の軍旗争奪場面) 16世紀前半 ウフィツィ美術館(2012年 東京富士美術館より寄贈): (↓)はクリックで拡大します。もともとの背景は薄く削り取られ、現在の色は再び塗られたものとのことです。 ![]() ![]() ![]() チェザーレ・ボルジアの軍事顧問として働いたことのあるレオナルドは、武具や戦争の現実を十分に知っていた。 人馬一体となったこのように激しい戦闘画は、ルネサンスの巨匠レオナルドが初めて描いたものだったが、乾いた壁面に油彩で描こうとしたレオナルドの試みは成功しなかった。 下絵自身は完成しており、オルシーニの体部が未完成である《タヴォラ・ドーリア》は、途中段階だった壁画を写した板絵であると考えられる。 ザッキアが、レオナルド自身が描いた板絵に基づいて制作した版画(アルベルティ―ナ版画素描館蔵 ↓)では、オルシーニの体部が完成しているので、この板絵はレオナルド自身が描いたものではなく、別の画家が描いた模作と考えるのが自然である。 ![]() 【参考】 《タヴォラ・ドーリア》の来歴 1500年: レオナルド、ミラノからフィレンツェに戻る。・ペドレッティによる《アンギアーリの戦い》の全体構想復元図 1968年: 《タヴォラ・ドーリア》はレオナルドの《アンギアーリの戦い》の全体図の中央部分だったことが、残存している多数のレオナルドの構図習作素描から想定できる。(↓)はその「全体構想復元図」である。 ![]() ![]() ![]() ・作者不詳(レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく)《アンギアーリの戦い》の模写 1553年 ウフィツィ美術館素描版画室 ![]() ![]() ![]() ・レオナルド・ダ・ヴィンチ《格闘する男たちの習作》1503-04年頃 ヴェネツィア・アカデミア美術館: 《タヴォラ・ドーリア》の右下に描かれた「格闘する2人の兵士」の習作の一つ。 ![]() ![]() ![]() 3章 競演の舞台~アンギアーリとカッシナ、ミケランジェロとの対決: ソデリーニは、シオリーニャ宮殿(現パラッツォ・ヴェッキオ)2階の大評議会広間に設置する壁画として、レオナルドに《アンギアーリの戦い》の制作を依頼するとともに、ミケランジェロにも1503年に《カッシナの戦い》の壁画制作を依頼していた。 ミケランジェロが1504年10月以降に制作した原寸大大下絵は、メディチ家がフィレンツェに復帰した1512年以降の混乱の中で、失われてしまった。現在では、後年の模写やミケランジェロ自身の素描、ライモンディの版画などによってその最終構想を窺い知ることができる。 テーマ3‐1:ミケランジェロの《カッシナの戦い》: ミケランジェロ自身の習作3点が残っている(大英博物館版画素描部、アルベルティ―ナ版画素描館、ウフィツィ美術館版画素描室)。 ・アリストティレ・ダ・サンガンドロ《カッシナの戦い》(ミケランジェロの下絵による模写): ![]() ミケランジェロのレオナルドに対する対抗心と尊敬心がそのような選択をさせたのであろう。 この画(↑)では、アルノ川で水浴びをしていたフィレンツェ軍が、突然の敵襲に戦闘準備をするという場面を取り上げ、ミケランジェロが得意とする「身体表現」の技術をいかんなく発揮している。 16世紀後半に活躍した版画家マルカントニオ・ライモンディは、ラファエッロ作品を版画で複製したローマでの活動で知られているが、次の2作品はそれに先立つ短いフィレンツェ滞在期に、シニョリーナ宮殿の大評議会広間で公開されていたミケランジェロの《カッシナの戦い》の下絵を目にして、これを版画に仕立てたものである。 ・ライモンディ《岸をよじ登る男たち》1510年 大英博物館版画素描部 ![]() ![]() ![]() テーマ3‐4:ティツィアーノの失われた大戦闘図: 1538年、ヴェネツィア統領宮殿(パラッツィオ・ドゥカーレ)の大評議会広間にティツアーノが壁画を完成させた。そのテーマは「スポレートの戦い」あるいは「カドーレの戦い」だった。この壁画は、1577年12月の火災で焼失したが、パラティーナ美術館蔵の油彩模写(↓)とジュリオ・フォンターナの複製版画(↓↓)が残っており、今回展示されていた。 ![]() ![]() テーマ4‐1:《アンギアーリの戦い》とルーベンス ルーヴル美術館蔵のルーベンスの素描《アンギアーリの戦い》(↓)は有名作品だが、今回は出ていなかった。 ![]() ・ヘラルド・エデリンクがルーヴル美術館蔵のルーベンスの素描《アンギアーリの戦い》に基づいて制作したエングレーヴィング(大英博物館蔵) ![]() ![]() ![]() テーマ4‐3:イタリア・バロックの戦闘図: ジョルダーノの《アマゾン族の戦い》(↓)など戦闘画が多数出ていて、さすがにちょっと飽きた。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-06-27 19:05
| ルネサンス
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