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マティス、ドラン、ルオーらの野獣派(フォーヴ)の画家たちが陶磁器を作っていたことは今まで全く知らなかったので、そのいきさつを知るために、この展覧会を観に行ってきた。
メテの作品は、日本の陶磁器からインスピレーションを得た「炻器」(せっき)に始まるが、その後「磁器」や「磁器に近い炻器」を制作していた時期を経て、素焼・錫白釉・絵付・焼成という工程の「ファイアンス」を制作するようになる。 後に述べるように、フォーヴの画家に絵付けさせたものは、この「ファイアンス」であったが、メテ自身はさらに一歩進んで繊細で優美な装飾の「施釉陶器」の制作を始める。この「施釉陶器」とは、釉薬や泥漿(化粧土・スリップウェア)で装飾・透明釉・焼成という工程を経るものであり、色鮮やかでとても美しい。 (↓)のメテ《卵型(砲弾型)花瓶 幾何学模様と野兎》1910-1年頃 施釉陶器には、青と白と金が使われている。 メテの作品を展覧会で見た画商・ヴォラールは、1906年頃からフォーヴの画家たちをメテの工房に送り込んで、メテの「ファイアンス」の絵付けをやらせた。 そして、これらのフォーヴの陶磁器」は1907年のサロン・ドートンヌにまとめて出品された。 (↓)は、左から、マティス/メテの《花瓶 装飾的な花》 1907年、ヴラマンク/メテの《音楽を愛するイヴ》1907‐09年、ドラン/メテの《花瓶 幾何学模様》 1907年。 第3章は「ルオーと陶芸-色彩とマティエール」である。 フォーヴの画家の絵付け作品が予想に反して売れなかったので、ヴォラールが陶磁器から手を引いてしまった。 その結果、ルオー以外のフォーヴの画家は、1909年頃までには、メテの工房を去って行った。 ルオーはメテと同年の生まれであったため、気が合ったのであろうか、他のフォーヴの画家と違って、陶器制作に長期にわたり熱中し、1906年から1913年頃までの7年間、メテの工房に通っていた。 釉薬の輝きを生かしたルオーの陶磁器には、彼の絵画と同様の青を基調とする鮮やか色彩が用いられ、描かれた主題は、裸婦や道化師など絵画と同様のものであった。 この頃のルオー/メテの代表的な作品を以下に列挙する。 《花瓶 水浴の女たち》1909年(↓) 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-05-17 09:14
| 印象派後期
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