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この日は「緑の日」。前日に市川に出かけて「炎の人 式場隆三郎」を見てきたが、「風薫る五月晴れ」を無駄にするのがもったいなくて、連日の「美術散歩」に出かけた。
渋谷・新宿といった盛り場は大変な人出なので、山手線のバイパス経路である「京王バス 渋谷西口‐新宿西口」に乗って「新宿センタービル・野村ビル前」で下車した。「人の行く裏に道あり花の山」とはよく言ったものだ。目の前に反り返った「損保ジャパン日本興亜本社ビル」がある。 私の場合、息子ユトリロの回顧展は今までに何回も見て(文末参照)、彼の人生をそれなりに理解しているが、今回の展覧会ではいままでまとまって見たことのない母親ヴァラドンの作品を中心に観てきた。 展覧会の章立ては 第1章: ヴァラドンとユトリロ、ふたりの芸術家の誕生Ⅰ.芸術家ヴァラドンの誕生: ヴァラドンの本名はマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン。1865年、フランス中部ベッシーヌ=スュル=ガルタンプで出生。父親不明。幼児、母と一緒にパリに移った。働いていたサーカス団で空中ブランコから落下して退団し、画家のモデルとなった。そのうち見よう見まねで絵をかくようになった。 ヴァラドンがモデルとなった有名作品には、シャヴァンヌ《諸芸術やミューズたちのいる聖なる森》1884年、ルノワール《都会のダンス》・《ブージヴァルのダンス》1883年、ロートレック《二日酔い》1888年がある。 ヴァラドンの最早期の作品としては、油彩の《編み物をする若い女》1892年頃 ポンピドー・センターも出ていたが、当時は木炭・赤チョーク(↓)・色鉛筆(↓↓)などを用いた素描的な作品が多かったようである。これらを見ると、写生はかなり上手く、とくに線描がシッカリとしている。その後のヴァラドンの作品でも力強い線描が目立つが、これはドガから学んだものとされている。 1.《12歳のモーリス・ユトリロ》1896年 3.《裸婦の立像と猫》1919年: 当時の上流階級の女流画家は裸体画を描くことを憚っていたが、下層階級のヴァラドンは裸体画を得意としていた。 6.《ユッテルの家族の肖像》1921年: 再見。 14.《リュシュー・ユトリロ・ヴァロールの肖像》1937年: ユトリロは母親ヴァラドンの勧めで 1935年に5歳年上のリシューと結婚した。 (↓)は、ユトリロが1910‐15年頃に撮影された母親の姿を眺めているところである。 ユトリロ自身は、1955年、71歳で亡くなった。 ・ドガ=師弟関係【今までに見たユトリロ展】 ・ユトリロ展@大丸ミュージアム(1992.9)美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-05-05 11:33
| 国外アート
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