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今年2004年は、田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎という3人の若者が木版画にかけた青春の証である創作版画集『月映』が刊行されて100年を迎える。これを記念した展覧会が4月17日(金)から愛知県美で開かれることを知ったので、初日に観に行ってきた。ちょうど名古屋滞在3日目で、時間が空いたからである。
![]() しかし、総展示数は344点という多数で、スペースの広い愛知県美でさえ、かなりの作品が前期・後期に分けて展示されている。 東京でも再見の機会があるが、やはりスペースの問題があるため、何期かに分けて展示されるのだろうか。 余計な心配はこれまでとし、展示の内容を簡単に紹介しよう。 入口で渡された3ページの「作品リスト」(A3)には、イラスト付きの3ページの「鑑賞ガイド」(A3)が付いている(合計A2表裏2枚)。さらに「月映TUKUHAEものがたり」と銘打ったイラスト入りのパンフレット(A2表裏1枚)も頂戴できる。 ![]() 1)1914年3月、3人の美術学生(田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎)によって版画集の出版が計画された。 2)この話を聞いた洛陽堂(『夢二画集』・『白樺』の出版元)の主人が、赤字覚悟で出版(公刊)を引き受けてくれた。 3)この出版までには時間がかかるので、まずは3人だけで作品を発表し合うこととし、3部限定の私家版『月映』が制作された。 4)田中は、1913年10月に肺結核で喀血し、1914年4月中旬に和歌山の実家に帰ったので、3人が東京で揃って『月映』を制作したのは1913年の3月から4月の一ヶ月ほどで、その後は東京と和歌山間で手紙と作品のやりとりをして公刊『月映』が誕生した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 8)田中の死後、公刊『月映』は「告別」と題した第Ⅶ輯を最後として廃刊されたが、恩地と藤森は日比谷美術館で「田中恭吉遺作展」を開催し、日本創作版画協会の発足に携わった。 9)恩地の尽力によって、田中の挿絵は1917年に出版された萩原朔太郎の最初の詩集『月に吠える』に掲載されることになった。装幀は恩地が担当しており、萩原は『月に吠える』は自分と田中、恩地との芸術的共同作業と語っている。 以上のように、わが国の創作版画の先駆けとなった三人の若者の友情の物語が太い「経糸」となり、命を削って制作した田中の作品(↓右、《失題》1914年頃)、抽象表現へと向かう恩地の作品(↓中、扉《EX-LIBRIS 死によりてあげられる生》1915年)、友人や妹の死に触発された内省的な作品(↓左、《すすりなくたましひ》1915年)が3本の「緯糸」となって紡がれているこの展示には深い感銘を受けた。 ![]() 今度の詩集は故田中恭吉氏の追悼記念の意をかねた出版ですからこれは兄にもご承知願ひます。その意味からも特に田中氏の親友であり月映の同人であった大兄に表装その他のご迷惑をお願ひする次第です展覧会の初日に訪れ、時間を掛けて見ている私が展示室を移動するたびに、影のように移動してくる女性監視員に気付いたので、恩地孝四郎が制作した萩原朔太郎の肖像版画(↓)のことや東京ステーションギャラリーへの巡回展のことなどについて軽いチャットをした。 ![]() 最初の展示室は、「奈良美智」の特集で、収蔵作品は《Girl From the North Country》2014年だけだったが、その他に、7点の絵画・5点の版画・3点の素描(いずれも寄託作品)が出ていて、充実した特集展示となっていた。 次の展示室の「20世紀の美術」には、愛知県美術館の絵画16点(ゴーギャン、ピカソ、デュフィ、マティス、クリムト、ノルデ、キルヒナー、エルンスト、ミロ、デルヴォー、サム・フランシス、ラインハート、モーリス・ルイス、フォンターナ、ベーコン、ウォーホル)の他に、現在改修中の豊田市美術館から預かった作品が10点(クリムト、ココシュカ、シーレ、エルンスト、ミロ、エルンスト、マグリット、イヴ・クライン、ジャコメッティ)も展示されていて、大満足だった。 特に、クリムトの作品が2点、豊田市美術館の《オイゲニア・プリマージの肖像》1913/14年が左側、愛知県美術館ご自慢の《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年が右側に並んで展示されている壁面に興奮して、しばらくは前に置かれているソファーにあぐらをかいてじっくりと両者を鑑賞した。↓の画像は撮影が許されている館内の案内の幟であるが、実際はこれと左右逆に展示されていた。 ![]() ![]() 《人生は戦いなり(黄金の騎士)》(↑右)の騎士は、左下のお花畑の中にに描かれた金色の蛇、馬の腹の下の樹の中に描かれた悪魔の邪魔を無視して歩みを進めている。この画の下敷きになったアルブレヒト・デューラーの版画《騎士と死と悪魔》(1513年 ↓)では、死神や悪魔が騎士の邪魔をしようとしている。 ![]()
by cardiacsurgery
| 2015-04-21 12:18
| 近代日本美術
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