久しぶりの好天に恵まれて、美術散歩を再開した。まずは上野の藝大美からだが、途中の桜は葉桜となってしまっている。
明治時代の初期は、日本にとって維新後の激動の時代だった。
開国した日本が西洋から受けた衝撃 (ウェスタン・インパクト)は大変なものだった。他方、幕末から明治にかけて来日した外国人が日本の伝統的文化から受けた衝撃(ジャパニーズ・インパクト)も相当なものだった。
この展覧会はその両者を捉えて、ボストン美術館と東京藝大美術館の所蔵作品を展示するという意欲的な企画。
その意図は、所蔵作品の購入あるいは寄贈がきわめて受け身であるという美術館自体の宿命によって、かなり制限を受けており、各章ごとの出展先にかなりの偏りがあることは否めない。
それにしても、企画者たちの斬新な意欲は十分にくみ取れる品揃えとなっていた。
特に、ボストン美術館での日本美術の取得状況が2000年以降、かなり変わってきていて、明治の錦絵、観光客用あるいは日露戦争を記録した写真、西洋の教育を受けた画家の絵葉書、さらには柴田是真や川鍋暁斎の作品の新規購入などによって、明治という時代の美術研究の幅がかなりひろがってきているということを実感した。
前置きはこのぐらいにして、自分自身にインパクトを与えてくれた多数のお気に入り作品を、章立てに従って、挙げていくこととする。
プロローグ 黒船が来た: 黒船来航・開国・討幕・攘夷・大政奉還・廃藩置県と続く明治維新の大変革は、幕末明治期の浮世絵に表されている。
1.作者不詳《ペルリ浦賀上陸図》部分 19世紀後半 ボストン美蔵: 5mにわたる巻子に詳細な情報が日本語は黒字で、英語は赤字で書きこまれている。例えば、日本語で「帆船長サ三十間」、これに対応する英語は’sailing boat length 30 Ken, width 22 Ken’のごとくである。
3.河鍋暁斎《蒙古賊船退治之図》1863年(文久3)ボストン美蔵: 尊王攘夷論によって元寇をテーマとする浮世絵が描かれている。神風による高浪の表現は北斎の《神奈川沖浪裏》、敵船が大爆発する際の光線の描き方は、北斎の《椿説弓張月 続編巻三》を想起させる。
8.三代歌川広重《横浜波止場ヨリ海岸通異人館之真図》1875年(明治8)ボストン美蔵: いわゆる「横浜絵」である。これは、2000年に、ボストン美術館の評議員であるシャーフ夫妻から寄贈された650点の日本の近代化と西洋化に着目した木版画の一つであると考えられる。
14.高橋由一摸 ワーグマン筆《浴湯図》1878年(明治11)藝大美蔵: 高橋由一や五姓田義松らに洋画を教えた英国人チャールズ・ワーグマンは本国にイラストを描いて送るジャーナリストだったが、公衆浴場に興味を示している。ワーグマン自身による原本は伝わっていないが、最近になって発見された高橋由一の模写が展示されていた。画面右下に「C.Wirgman 高橋由一摸」と記されていた。
第1章不思議の国 JAPAN: 明治政府は外貨獲得のため、起立工商会社を中心に輸出目的の工芸品を製作し、万博にも展示した。当時、絵画として人気があったのは、河鍋暁斎の諧謔的な人物画や柴田是真の熟達した素描技術である。
28.鈴木長吉《水晶置物》19世紀末-20世紀初頭 ボストン美蔵: 日本の水晶置物は欧米で好まれていたが、この水晶玉は1876年(明治9)に、御岳山で産出され、第2回内国勧業博に出品されたものであるが、ボストン美では、1893年(明治26)に購入し、その後、この水晶玉に合わせた台座を発注し、1903年(明治36)に山中商会に代金1500ドルが支払われている。浪しぶきをあけて昇る龍がモチーフとなっており、水晶は宝珠の見立てである。
29.高石重義《竜自在》江戸時代後期 ボストン美蔵: 全長2mに近い世界最大の「自在置物」で、会場ではX線写真によって可動性の関節の構造が示されていた。この作品は1963年にダニエルソン・ホッジス夫妻から寄贈されたものであるが、それ以前の来歴については
こちらを参照されたい。
30.柴田是真《野菜涅槃図蒔絵盆》1888年(明治21)ボストン美蔵: お気に入りの是真の漆芸作品。三菱の岩崎弥之助のために制作されたこの蒔絵盆は涅槃図のパロディ。釈迦は銀高蒔絵の大根で、悲嘆にくれる弟子たちは茄子・えんどう豆・筍・慈姑・栗・唐辛子・山葵・蕪・蜜柑・南瓜・茸・人参・牛蒡・・・。とにかく、若冲の《果蔬涅槃図》を彷彿とさせる名品である。
35.濤川惣助《七宝瀟湘八景図額》1893年(明治26)頃 ボストン美: 無線七宝の額絵。濤川の「図額」は米国では絵画として扱われたとのこと。
39.旭玉山《人体骨格》年代不詳 藝大美蔵: 象牙彫刻だが、すべての関節が動く。
40.河鍋暁斎《地獄太夫》明治時代 ボストン美蔵: 2010年にボストン美術館が購入した作品である。三味線を弾く骸骨の頭上で踊っているのは一休和尚。地獄模様の衣装を着けた太夫の周囲では、骸骨たちが踊りまくっている。
42.河鍋暁斎《風神・雷神》19世紀後半(明治時代) ボストン美蔵: 宗達以来、琳派の《風神雷神図屏風》の風神は緑、雷神は白であるが、ここでは風神は青、雷神は赤という伝統色としている。風神の巻き起こす風に紅葉が舞っている。これは暁斎のウィットなのだろう。この作品はビゲローやフェノロサのコレクション。
43.川鍋暁斎《狂斎百図》1863-66年(文久3-慶応2) ボストン美蔵: 幕末の世相がユーモアたっぷりに表されている。当時来日した外国人がこぞって買い求めたという。右図には、「一寸さきはやみ」・「人をいのらば穴ふたつ」、左図には「犬とさる」などと書き込まれている。ビゲロー・コレクション。
44.柴田是真《千種之間天井綴織下図》1886年(明治19)藝大美蔵: これは1888年(明治21)に竣工した明治宮殿の千種之間の天井画ために描かれた下絵112図が残っており、今回12 図が展示されていた。漆芸家として知られる是真は、漆絵やこうした和洋折衷の日本画でもその力を発揮している。
45.柴田是真《雪中鷹図》19世紀後半(明治時代)ボストン美蔵: フェノロサ・コレクション。鷹や小鳥の羽の精緻な表現や雪を描く「外隈」の技法は見事である。
第2章文明、開花せよ: この章では、明治前半期に日本が変わっていく様子が、ボストン美所蔵の錦絵で概観することになっていた。
51.揚州周延《男児池上に小舟を浮す》1887年(明治20)ボストン美: シャーフ・コレクション。男性も女性も西洋のファッション。周延の版画のどぎつい赤はあまり好きになれないが、本図はましな方である。
67.小林清親《愛宕山の図》1878年(明治11)ボストン美: ビゲロー・コレクション。清親の穏やかな色使いは好ましい。
第3章 西洋美術の手習い: この章では、ワーグマン・フォンタネージ・ラグーザから学んだ高橋由一・五姓田義松・松岡寿・小山正太郎・浅井忠らの作品から、日本における西洋美術の受容の軌跡をたどることになっていた。
72.五姓田義松《自画像》1877年(明治10)藝大美蔵: ワーグマンの弟子の義松の洋風画。
76.小山正太郎《白菊》1900年(明治33)藝大美蔵: フォンターネ―ジの弟子・正太郎がパリの宿の主人の死を悼んで描いた作品。
77.松岡寿《凱旋門》1882年(明治15)藝大美蔵: フォンタネージの弟子・寿が、留学中に描いた作品。
第3章日本美術の創造: この章には、フェノロサが来日したころの狩野芳崖・小林永濯・橋本雅邦、さらに岡倉天心が指導した横山大観・下村観山・菱田春草らの作品が出ていた。
81.狩野芳崖《谿間雄飛図》1885-86年(明治18-19) ボストン美蔵: 三羽の大鷲、落下する瀧、深い谷底の表現に、遠近感とスピード感がある。
82.狩野芳崖《悲母観音》1888年(明治21)藝大美蔵(↓右図): 超有名な重文で、立派な屏風仕立てで展示されていた。
83、岡倉秋水摸《悲母観音》制作年不詳 ボストン美蔵(↓左図): 2002年にボストン美の収蔵品となるまで、この作品の存在は知られていなかった。今回が日本初公開で、原作と並んで展示されていた。こちらは原作よりやや小ぶりの軸装で、色彩のコントラストが強い。
85.小林永濯《菅原道真天拝山祈祷図》1860-90年頃 ボストン美蔵: 天拝山の頂に爪先立ちで全身を硬直させて立つ菅原道真は、このとき雷神となった。独創的なマニエリスム絵画である。今回の展覧会のメインビジュアルになっている迫力のある作品。ビゲロー・コレクション。
86.橋本雅邦《雪渓山水図》1880年半ば ボストン美蔵: 第2回鑑画会出品作。空気遠近法を取り入れた山水画である。ビゲロー・コレクション。
109.横山大観《海》1904-05年(明治37-38)頃 ボストン美蔵: 国内では霞んだような「朦朧体」として評判の悪かった大観の作品は、菱田春草とともに米国で開いた展覧会では好評だった。
第4章近代国家として: 日清・日露戦争勝利後の日本は急速に近代国家を確立していく中で、ナショナリズムの台頭を背景に、神話をテーマとした歴史画や日清・日露の戦争画が隆盛を極めた。洋画界では新派と旧派の派閥争いが始まったが、この時代の日本の美術界では、伝統回帰と西洋志向という二項が対立し、影響し合っていたのである。
123. 小林栄濯《天瓊を以て滄海を探るの図》 1880半ば(明治時代) ボストン美: 古事記より取材。イザナギとイザナミが天浮橋に立って天の沼矛で潮をかき混ぜると、矛から滴り落ちた潮が積もって日本の島々ができた。このような「神話画」は、明治時代の神格化された天皇制の皇国史観に基づいたもの。ビゲロー・コレクション。
125.竹内久一《神武天皇立像》1890年(明治23)藝大美蔵: 明治天皇の御真影を基に制作した木彫で、明治天皇を神話上の神武天皇と結びつけた作品。新聞の懸賞彫刻の主題の一つが「神武天皇御像」だったというから、当時のマスコミの右傾化が著しいことが分かる。今回の展示に合わせて、左手に持っている弓が復元された。
126.小林清親《我軍隊牛荘城市街戦撮影之図》1895年(明治28)ボストン美蔵: 「光線画」で有名な小林清親は日清戦争に際して、多くの「戦争錦絵」を残している。清親は従軍していないが、「牛荘城」の戦闘は遠方でくりひろげられ、中景には運ばれる負傷兵士、近景には従軍写真師が描かれ、あたかも戦場のような臨場感をもった作品となっている。シャーフ・コレクション。
127.小林清親《冒営口厳寒我軍張露営之図》1895年(明治28)ボストン美蔵: 日清戦争の際に、満州の重要な港町「営口」を日本軍が制圧した時の厳寒の幕営情景である。「光線画」の技法がいかんなく発揮されている。
130.水野年方《万国旗》文芸倶楽部10巻 14号 1904年(明治37)ボストン美蔵: 浮世絵風の美人画で有名な水野年方が描いた日露戦争の祝勝ムードあふれる雑誌口絵である。和服の女性が、軍服姿の明治天皇像の前で、万国旗や旭日旗・日章旗を飾っている。
145.山本芳翠《西洋婦人像》1882年(明治15)藝大美蔵: 山本芳翠がパリ留学中に描いた女流作家の肖像画。
148.吉田博《妙義神社》1900年(明治33)頃 ボストン美蔵: 西洋画の技法による日本の伝統を描いた作品は、「ジャポニスム」とは異なる「ジャパニーズ・インパクト」として、米国で受容された。
149.中川八郎《仁王》1900年(明治33)頃 ボストン美蔵: 上記の吉田博と同行した中川八郎の作品もボストン美で開かれた展覧会で売れた。この際、出展した吉田博と中川八郎の作品104点中の84点が売れたとのことである。
随分沢山の画像を挙げてしまったが、それほどお気に入り作品が多かったのである。
この後、東博の「インドの仏」に回ったが、こちらも大変勉強になった。そのブログ記事は
別稿とする。
美術散歩 管理人 とら