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ということで、富山県立近代美術館のHPに載っている雪山行二・館長の2015年3月14日付の挨拶を引用させていただく。 本日、当館では北陸新幹線開業記念展「世界・日本の20世紀美術-旅する100年」が開幕しました。これは3月21日から東京ステーションギャラリーで開催される「ピカソと20世紀美術 富山県立近代美術館コレクションから」とペアをなすものです。首都圏の方々には東京でパート・ワンを、そして新幹線で富山に来てパート・トゥーをご覧いただこうという趣向です。当館では全館を使って、14のテーマの下にふだんあまりご覧いただく機会のなかった作品を含む550点の作品を前期・後期に分けて展示しています。県外の皆様にも、また地元富山の皆様にも、当館のコレクションをいかに質量ともすぐれているかということを体感していただく絶好の機会であると思います。東京ステーションギャラリーと富山県立近代美術館にお越し下さるようお願い申し上げます。心からお待ちしています。私自身、今までにこの富山県立近代美術館を2回訪れる機会があったが、いずれの際にも「企画展」の他に有名な「常設展」も見ている。ここでは、以前のHP / Blog 記事から「常設展」の部分を引用する。 1.1993年5月の企画展「平山郁夫」: 富山大学に行ったついでに、富山県立近代美術館に行ってみた。ここにはなかなかユニークな常設展があり、けっこう楽しめた。思い入れの強い「富山県立近代美術館」についての話がつい長くなってしまったが、ここからが今回の展覧会の話である。 展覧会の構成は下記のようである。 第1章 ピカソが開いた20世紀の扉20世紀美術は美術史の中でも特異な位置を占めている。21世紀に入って15年もたった現在はそれを俯瞰するのにもってこいの時期であり、この展覧会はその意味で時宜にかなった好企画である。 いうまでもなく「20世紀美術」が突然変異のように生まれたわけではない。その前に存在していた「19世紀美術」における写実主義、印象主義、新印象主義、野獣派という系譜において、伝統的な絵画様式における光と色の表現方法が修正されてきたことが踏み台となっている。 今回の展覧会の第1章は、ピカソである。 ピカソ自身の画歴は、スペイン時代(1897-1900)、青の時代(1901- 1904)、ばら色の時代(1905年の数ヶ月)、アフリカ彫刻の時代(1907-1908)、セザンヌ的キュビスム(1908-1909)、分析的キュビスム(1909-1912)、総合的キュビスム(1912-1916)、新古典主義(1917-1925)、超現実主義(1925-1936)、ゲルニカの時代(1937)、晩年(1937-1973)と変遷している。ピカソの画風の変化については女性遍歴との関係ばかりが喧伝されているが、画家自身の経済的事情とも無関係ではなかったことも知られている。 この中のTSG蔵の4点は、いずれも今回が初公開であるが、JR東日本初代社長・東日本鉄道文化財団初代理事長を務められた住田正二氏の命で購入されたとのことである。住田正二氏の義父は山種美術館創設者の山崎種二氏であり、実父は国分寺古瓦の収集家・住田正一氏(参照ブログ記事)であるなどから、美術品収集に対する見識があったのであろうと考えられる。この調子で書いていくと、長大な論文となってしまいそうなので、ここらでザックリとした話にチェンジしたい。 「20世紀美術」は多彩で、無数のきら星のごとく「★★派」や「●●主義」が混在し、互いに影響し合っており、一人の作家の「◆◆主義」から「▲▲派」への無節操ともいうべき変遷も日常茶飯事となっていて、西洋美術史の専門家たちの「20世紀美術」に関する見解も統一されているとはいえない状況のようである。 すべての歴史がそうであるように、一定の統一的な専門的歴史観が確立するまでには、一世紀程度の時間が必要なのであろう。 今回の展覧会図録に収載されている冨田章館長の論考「20世紀美術を理解するための2本の補助線」は、この難題に一つのヒントを与えているように思われる。 その「2つの補助線」の1本は、造形的な要素を重視する立場(造形探究派)であり、他の1本は、意味的な要素を重視する立場(意味探究派)である。 前者は、ピカソやブラックという「キュビスム」の作家が対象を三次元の立体の集合として把握しつつ、それらを新しい非遠近法の技法によって二次元の平面に落とし込むことに成功したことに始まる。 「キュビスムの作家たち」は、対象である立体を多方向から見た複数の「平面に分解」し、対象の立体をカンヴァス上に「平面の集積として再構成」したのである。 美術史家たちはこの流れの元祖はセザンヌのように主張して憚らないが、古くはレオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖シェーマ」(↓)や、外科医が手術記事に載せ、メディカル・イラストレーターが描いている「手術シェーマ」(↓↓)も、多視点からみた脳内画像を平面図として表現しているのであるから、「キュビスム」の作家たちの「成功」も、科学全体からみれば美術史という小さなコップの中のささやかな変革であるに過ぎないのかもしれない。 カンディンスキーやモンドリアンのような抽象主義の画家たちも、当初は対象を認識することが可能な作品からスタートしていた(↑↑↑チラシ裏、右列第2段画像4)。このことは、生物学的にはドイツの発生学者ヘッケルが唱えた「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則の再現のようでもある。 いずれにせよ、「キュビスム」から「抽象主義」への流れは、米国の「抽象表現主義」と西欧の「アンフォルメル」へと移行し(↑チラシ裏、左列第4段画像7もこの時期の作品)、その終着点は作品の構成要素を極限までそぎ落とす「ミニマリズム」であるという(↑↑↑チラシ裏、右列最下段画像9)。 他方の「意味探究派」の起点は、あらゆるものの価値を否定することによって生み出された「ダダ」の作品である。 その典型はデュシャンの《泉》で、その複製品は板橋区立美術館の男性トイレで実用化されているとはいえ、この《泉》はそれまでの芸術という概念を真っ向から否定したものであることに違いはない。 このように既成の概念を否定する考え方は、科学におけるコペルニクスの地動説の主張にも似た「芸術のコペルニクス的転回」であって、美術が美術でなくなって美術がアートに変身した瞬間だったのかもしれない。 まったく無関係のものたちが偶然に出会うという夢の中の体験を視覚化した「シュルレアリスム(↑↑↑チラシ裏、左列第3段画像5 および 右列第4段画像8)も、「意味探究派」の流れの中にあるという。 また日常ありふれた図像をモティーフとした「ポップアート」もこの延長線上にあるとのことである。 そしてその終着点は、「コンセプチュアル・アート」である。その代表作として展示されていたのは、ジョセフ・スコース《哲学者の誤り#2 よきものとやましくない良心》1991で、暗灰色の正方形の画面の中に次のようなニーチェの格言の英訳文が淡灰色でプリントされていた。 The good and the good conscience.- Do you think that every good thing has always had a good conscience? – Science, which is certainly something good, entered the world without one, and quite destitute of pathos, but did so rather in secret, by crooked and indirect paths, hooded or masked like a criminal and at least always either the feeling of dealing in contraband. The good conscience has as a preliminary stage the bad conscience – the latter is not its opposite: for everything good was once new, consequently unfamiliar, contrary to custom, immoral, and gnawed at the heart of its fortunate inventor like a worm.連合国および連合国民の著作権戦時加算特例の存在、前世紀末からの比較的短い経過年数、画家に長寿者が多いという事実などを勘案して、慣習上許容されている展覧会フライヤー以外の作品画像を入れなかったので、文字の多いブログ記事となってしまった。 作品は展覧会場で直接にゆっくり時間を掛けてご覧いただきたい。 そのようにすると、「20世紀美術への拒絶反応」に対する免疫寛容状態(Tolerance)が生じてくるかもしれないと思う。 この長大な記事に最後までお付き合いいただいた方に深謝します。 美術散歩 管理人 とら 【付記】 内覧会だったので、理事長・副理事長・評議員・館長などの東日本鉄道文化財団関係者と親しくお話しし、また美術ブロガーや他美術館関係者と邂逅する機会にも恵まれた。
by cardiacsurgery
| 2015-03-22 10:47
| 現代アート(国外)
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