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今回は、小杉放菴に絞った回顧展。没後50年というから著作権が切れたばかりのタイミングでもある。 展示は7章立てで、洋画家としてスタートした画家が、東洋画家に変容していく過程が、ほぼ時系列で示されていた。 第1章 蛮民と呼ばれて-日光~田端時代: 小杉放菴は、明治14年に日光二荒山神社神官の末息子として生まれた。15歳で、高橋由一の弟子で日光在住の洋画家・五百城文哉(HP記事)に学び、16歳で上京し、小山正太郎の画塾「不同舎」に入った。「未醒」と号するほどの酒好きで、芥川龍之介は、外見と内面の差の激しい小杉未醒を「未醒蛮民」と呼んで愛おしんだ。・《日光東照宮》明治34‐35年 出光美術館: 師の五百木文哉の同名の作品と並んで展示されていたが、小杉未醒の作品では朝もやの表現が上手い。 ・《婦人立像》明治44年 油彩・カンヴァス 栃木県立美術館: 小杉未醒夫人。木蓮の花の白にくらべ、夫人のエプロンの白ははるかに鮮やかである。全体的に装飾性が強いと感じられる。再見@誌上のユートピア展 第2章 西洋画による洗礼-文展入賞~パリ時代: 30歳頃には文展に出品した《水郷》と《豆の秋》が、二年連続で最高賞の二等賞を受賞した。大正2年には、銀行家・渡辺六郎の応援を得て渡欧し、シャヴァンヌに憧れて、パリを拠点に欧州各地の壁画や美術館を見て回った。パリで偶然に見た池大雅の《十便帖》の複製に「帰り行くべき道」を示されて、帰国後は日本画に傾倒していった。 ・《水郷》明治44年 東京国立近代美術館: 第5回文展で最高賞の二等賞を受けて、大きな話題となった作品。東近美4Fの最初の部屋に常設展示されている画だが、改めてジックリと見ると、手前に描かれた漁師と背景の水郷風景・水鳥・ポプラも樹などは無関係に展開しているように感じられる。世紀末美術の影響を思わせるグラフィックな画面構成である。夏目漱石は文展で未醒の作品を見て「画家の感情が籠つてゐる」と高く批評したという。 第3章洋画家としての頂点-東京大学大講堂大壁画: 東洋色が濃くなった放菴を日本で支えたのは大観だった(二人の関係について取り上げた展覧会「放菴と大観」については既述)。大観は日本美術院・洋画部門のリーダーとして放菴を迎えたが、大正9年には院の洋画同人とともに脱退し、「春陽会」に加わって、水墨の素描や東洋趣味の洋画を出品した。大正末期に依頼された壁画は、シャヴァンヌの油彩の壁画に日本画の淡白な色彩とやわらかい筆触を加味して、東西を融合させた神話世界をつくりだした。・《湧泉》大正14年 出光美術館: 東京大学安田講堂の正面壁画の習作。泉の傍に天平の乙女が描かれている。 この壁画は、放菴が私淑していたシャヴァンヌ(ブログ記事)のソルボンヌ大学大講堂の壁画(↓)のように、フレスコ画のような淡い色調と平面的な構図によって、静謐さと夢幻的な雰囲気を醸し出している。 第4章 大雅との出会い-深まりゆく東洋画憧憬の心: 放菴が渡欧した時代、西欧ではピカソヤティスなどの20世紀絵画が花ひらいていたが、放菴には、太く緩くひかれた池大雅の線はこのような西洋の動向に先駆けた新しい線と感じられた。帰国後には、大雅の文人画を研究し、宋元画を学習した。・《瀟湘夜雨》昭和時代 出光美術館: この放菴の南画は、川辺の柳の前を通りすぎていく小舟を描いた水墨画である。 この章での、放菴のその他のお気にいり作品としては、水墨の《初秋水村図巻》大正14年 出光美術館蔵と8客の染付《大雅堂瀟湘八景扇面小皿》大正時代 田端文士村記念館蔵を挙げたい。 第5章 麻紙の誕生と絵画の革新-〈東洋回帰〉と見られて: 福井の紙漉き職人「岩野平三郎」が大正4年に古代中国で使われ、平安時代に姿を消した麻紙(まし)の作成法を発見した。これを使って放菴は素晴らしい筆触の墨絵や淡彩を描いている。放菴は、一風変わった風合いを見せるこの麻紙を愛した。昭和4年には、画家・倉田白羊の画号・放居士にちなんで、「放菴」と改号した。放菴は、文人の楽しみを鑑賞者とともにするような洋画と日本画を描き続けた。・《ブルターニュの村の八月》大正3年 栃木県立美術館 ・《黄初平》油彩・カンヴァス 大正4年 小杉放菴記念日光美術館: 久しぶりで兄の許に帰ってきた弟が鞭を振うと、原っぱの岩石が羊になった。再見@誌上のユートピア展 第6章 神話や古典に遊ぶ: 昭和に入ると放菴の主要なテーマは東洋の神話や古典から採られるようになった。放菴は田端の自宅で漢学の碩学・公田蓮太郎の講義を聴く「老荘会」を催した。昭和9年から妙高高原の別荘で自然に囲まれながら制作した。現実と離れて遊んでいたいという放菴の願いがかなったのである。《荘子》昭和16年 出光美術館蔵、《春風有詩》昭和3年 小杉放菴記念日光美術館蔵、《酔李白》昭和3年 出光美術館蔵、《白雲幽石図》昭和8年頃 小杉放菴記念日光美術館蔵はそのような作品である。 ・《白雲幽石図》昭和8年頃 小杉放菴記念日光美術館: 石の上に坐って雲を眺めている老人は荘子でも李白でもなく、別荘の前に据えられていた「高石」の上で妙高山を眺めて暮らす放菴の分身なのである。 ♪ 東京ブギウギ リズムウキウキ 心ズキズキワクワク・・・ ♪ 第7章十牛図の変容: 放菴は牛を描くことを好んでいたが、その構図は伝統的な「十牛図」へと展開していく。・《帰牧》昭和2年 出光美術館: 牛に乗って家路につく少年は、伝統的には笛を吹いているのだが、この画の少年は手に柘榴を持っている。 ♪ 鉞担いだ金太郎、熊にまたがりお馬の稽古 ♪ その他、《田父酔帰》昭和3年 出光美術館蔵もお気に入り。 第8章画冊愛好-佐三との出会い: ・《鎮西画冊》昭和3~8年 出光美術館: 放菴が九州電力の招待で九州を周った時のスケッチ集。これを昭和5年にまとめた旅行記「景勝の九州」の挿絵を出光佐三が見て、仙厓と通じるところがあると見て、二人は合って共鳴した。 ・《山水八種》昭和8年 出光美術館: 明末の石濤の画冊「黄山八勝画冊」に感銘を受けて制作した。 第9章安らぎの芸術-花鳥・動物画: 妙高高原に別荘「安明荘」を建てると、放菴は花鳥画に興味を持った。戦後の荒廃の中で、絵は人々に安らぎを与えると考えていたようである。・《山夜友あり》昭和時代 出光美術館: 紙本着色(麻紙使用)。梟に似た鳥はコノハズク(木葉木菟)。白梅の枝に止っている。椿の花には、降りかかる粉雪が描かれている。麻紙の醸し出す墨のぬくもりと美しい色彩の共鳴が見事である。 ・《梅花小禽》昭和時代 出光美術館: 琳派風の障壁画。長い梅の枝の先の方に読まっている鶉に似た鳥は「小綬鶏」。根元の「霊芝」は白い目をむいて笑っているようだ。春を呼ぶ画である。 日本美術史の中では、小杉放菴は「素朴美の系譜」の中に位置づけられている(参照)。今回の展覧会に登場した南画の池大雅、浦上玉堂、青木木米もこの「日本の素朴派」であり、禅画の白隠や仙厓も「日本の素朴派」の中に含まれている。 出光佐三氏が、そのコレクションの中に、多数の「放菴と仙厓」の作品を加えられた慧眼に敬意を表する次第である。 「素朴美の系譜 @松濤美術館」の図録に掲載されている放菴の画像をここに引用させていただく。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-03-15 20:18
| 近代日本美術
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