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昨日とは打って変わり北風が強くて寒かったが、快晴だったので上野に出かけた。
![]() すなわち、印象派⇒前期の新印象派(色彩理論に基づいた短い筆触の点描画)⇒後期の新印象派(色彩表現を重視した長い筆触の点描画)⇒フォーヴィスム誕生という美術史の流れの真ん中を占めたのが「新印象派」であった。 昨年10月に見た「印象派を超えて‐点描の画家たち」とは明らかに違う切り口のコンセプトである。 プロローグ 1880年代の印象派 ・モネ《税関吏の小屋・荒れた海》1882年 日本テレビ放送網: ![]() このような印象派の作品は、若いスーラやシニャックらに大きな影響を与えていた。1885年頃には自らも点描作品を制作していたピサロの勧めで、スーラやシニャックは1886年に開催された最後の第8回印象派展に参加することになったのである。 第1章1886年: 新印象主義の誕生: 1886年5月に開かれた第8回印象派展に、モリゾやピサロは参加したが、モネやルノワールなどの主要な印象派の画家たちは出品せず、かわってスーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》をはじめとする点描作品が注目を集めた。 美術批評家フェリックス・フェネオンは、この新しい表現を「新印象主義」と名付けた。 ・ジョルジュ・スーラ《セーヌ川、クールブヴォワにて》1885年 個人蔵: 新印象派の最初期の作品のひとつである。芝生・川面・家々が水平に重ねられ、女性・犬・ヨットは横方向の動きである。これに対して、高い木の幹は垂直で、全体としても縦型の画となっている。透明な水や家屋の反映の細かい横方向の筆触による光の表現が見事で、女性や木における縦方向の筆触と対照をなしている。 ![]() ![]() ![]() ピサロは、印象派の画家たちを「ロマン主義的印象主義者」、新印象派の画家たちを「科学的印象主義者」と呼んでいた。前者が経験的・感覚的に実践した筆触分割を、後者が科学的な理論をもって発展させたのである。 新印象派の画家たちは、パレット上で絵具を混ぜるのではなく、短い筆触で純色を規則的に置くことで、観る人の中で混ざり合って知覚される色彩を作り出し、さらに補色でその効果を高めた。 彼らがシュヴルールやルードらの最新の色彩理論を理解していたことは、「スーラとシニャックのパレット」 個人蔵(↓)において、絵具が系統的に配置されていることを見れば一目瞭然である。 ![]() 新印象派の作品は、第8回印象派展翌年の2月にはベルギーで展示され、国際的に広がっていった。 フランスでは、アイエやデュボワ=ピエが色彩理論を研究した作品を発表し、ベルギーでは、レイセルベルヘ、フィンチ、オランダから参加したトーロップらが、点描作品を「20人会(レ・ヴァン)展」で発表した。 そして、1891年にスーラが31歳の若さで亡くなると、新印象派は新たな展開を迎える。 ・ピサロ《エラニーの農家》1887年 ニュー・サウスウェールズ州立美術館: ピサロはレイセルベルヘらの招きでスーラとともにレ・ヴァン展に参加した。彼が印象派の様式に回帰したのは1890年代である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() スーラの死後、シニャックとクロスらは、地中海沿岸で新印象派を新段階へと推し進めた。クロスは、1891年に、サン=クレールに永住を決め、シニャックは1892年以降、多くの時間をサン=トロペで過ごした。また、シニャックは、リュスやレイセルベルヘらもこの南仏に招き、光と色彩の探求を続けた。 ・クロス《農園、夕暮れ》1893年 個人蔵: ベルギー出身のクロスは、写実主義、印象派、新印象派と技法を変化させてきたが、この作品は点描ながら強い色彩が目立つ。 ![]() ![]() シニャックは、スーラの理論を引継ぎながらも、強い色彩を用い、モザイクのような大きめの筆触による表現を確立した。科学に基づく厳格な点描技法から解放され、より自由で、より色彩豊かな装飾性の高い画面を実現したのである。 ・クロス 《地中海のほとり》1895年 個人蔵: クロスは、1895年頃から、光による色彩の変化よりも色彩そのものの強さに関心を高めていった。アルカディアのようなテーマで、マティスの《豪奢、静寂、逸楽》(1904-05年)を予告するような作品である。 ![]() ![]() ![]() 1905年10月の第3回サロン・ドートンヌで「フォーヴ(野獣)」という名が誕生した。 その前年、シニャックの招きに応じてサン=トロペに滞在したマティスは、クロスとも親交を深め、点描技法を試みている。 その後、ドランとともにコリウールで制作を行い、ここで後の「フォーヴィスム」が芽生え、固有色の再現や点描の規則性からも解放され、原色を用いる強烈な色彩や大胆な筆触による力強い作品が生み出された。 このフォーヴィスムは、点描技法を経て新印象派の画家たちが探求した独自の表現をひとつの源泉として生まれたものであった。 ・シニャック《マルセイユ、釣舟》または 《サン=ジャン要塞》1907年 アノンシアード美術館: 強い色彩を用い、モザイクのような大きめの筆触による表現である。 ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-01-29 00:03
| 印象派後期
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