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前報のように、この朝の日曜美術館で予習して、午後から東博に行った。幸い、暖かい「美術散歩日和」だった。
7世紀後半に福島や山形に寺院や仏像が作られ、8世紀後半には陸奥の国の国分寺が宮城に置かれ、9世紀初めまで朝廷と対抗していた岩手は坂上田村麻呂によって平定され、9世紀には秋田に四天王寺が作られ、11‐12世紀には青森でも仏像が作られた。 A.岩手・天台寺の仏像: 平安時代の十和田山噴火の復興を願って造られた。神が仏の姿となっている。 1. 《聖観音菩薩立像》平安時代 11世紀 : 重文。桂の一木造の傑作。体躯には横方向の深い鉈彫が目立つが、背中のノミ目は浅く、顔や手は平滑で木の質感を生かしている。 像の表面に荒々しいノミ目をあえて残す鉈彫は樹木の霊性をあらわしたもので、木に仏を見る感性は、みちのくの心といえる。色彩は塗られていないが、墨で髭が描かれていることに気付いた。 2. 《如来立像》平安時代 11世紀: 浅い鉈彫だが、全身に鑿跡が見られる。 B. 山形・吉祥院の仏像: 行基がこの地を訪れて、疫病を封じるために千手観音信仰を広めた。「千手堂」という建物も残っている。 3. 《千手観音菩薩立像》平安時代 10世紀: 見事な重文。欅の一木造。残っている多くの穴は千手観音であることを示している。優しい表情や柔らかな衣は、京の仏像の特徴である。 4. 《菩薩立像(伝薬師如来)》平安時代 11世紀: 桂の一木造。元は千手観音だった。 5. 《菩薩立像((伝阿弥陀如来))》平安時代 11世紀 : 桂の一木造。元は千手観音だった。 C. 宮城・双林寺の仏像: 欅の一木造。孝謙天皇の病の原因がこの地の杉の精霊であるとして、杉を伐ったところ病が治ったので、この地に双林寺を創ったという伝承がある。 6. 《薬師如来坐像》平安時代・9世紀: 重文。東北の三大薬師の一つ。水晶の白毫と紅水晶の肉髻珠が目立つ。 7. 《二天立像(持国天・増長天)》平安時代・9世紀: 重文。 【註】東日本大震災で、持国天が薬師如来の左腕に倒れ込み、両者が破損したが、2年間かけて修復くされた。 D. 福島・勝常寺の仏像 8. 《薬師如来坐像および両脇侍立像》平安時代・9世紀: 東北を代表する記念碑的な国宝、東北の三大薬師の一つであるが、東京での公開は15年ぶりとのこと。 巨大な欅の一木造。空海と交流し、最澄と議論した徳一上人が指導あるいは奈良仏師を招聘して造ったもので、表面には金箔が使われ、木屑を漆で固めている都ぶりの仏像である。 薬師如来坐像は、全身に溢れる力がみなぎっており、うず高い髪、豊かな頬、がっちりとした肩や胸は、充実した胸と腰で支えられている。衣のひだは水の波紋を形つくり、落ち着きのある風格を示している。 脇侍の腰の捻り具合が艶めかしい。 E. 岩手・黒石寺の仏像 9. 《薬師如来坐像》平安時代・貞観4年(862): 重文、東北の三大薬師の一つで桂の一木造である。 像内面に貞観4年12月との墨書銘がある。7年後の貞観11年5月26日の貞観地震を知る仏像で、大津波の死者を悼むかのように、目尻は鋭く吊り上り、口は厳しく結んでいるが、人を包み込む優しさがある。 会場には、「日本三代実録 巻十六」に記された貞観三陸地震の惨状が現代語訳で紹介されていた。 (貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。今回の東日本大震災では、もう少しで台座から落ちる所だったとのことである。 10. 《日光菩薩立像・月光菩薩立像》平安時代・12世紀: F.秋田・小沼神社の仏像: 江戸時代の菅江真澄の記録によると、小沼神社のお堂は南向きで、その傍に10間四方の丸い泉があったという。 11. 《聖観音菩薩立像》平安時代・10世紀: 肩が張った細身で薄く、腰がくびれて愛らしい仏像だが、頭上のコブには「おかっぱ頭の雪ん子」のような小さな愛らしい顔が刻まれている。都の「化仏」の姿がこの地まで伝わっていなかったものと考えられる。 G.岩手・成島毘沙門堂の仏像 12. 《伝吉祥天立像》平安時代・9世紀: 重文。瞑想した眼、ふくよかな頬、柔らかな肩を持つこの仏像は、もっとも美しいみちのく仏と云われている。対称形の欅の木目が見事である。頭には2頭の象が乗っており、衣服は吉祥天の女性のものではないなど、「吉祥天」以外のものと思われる。 H.岩手・毛越寺の仏像 13. 《訶梨帝母坐像》平安時代・12世紀: 都の仏師の作と思われる洗練された鬼子母神で朱色が残っている。左手に子供を抱き、子供は右手を握っている。台座は華麗で、都から毛越寺へと届いた極楽浄土思想の影響が認められる。 I.青森・恵光院の仏像 14. 《女神坐像》鎌倉時代・12~13世紀: 朱色の土地の女神。頭に衣を被り、微笑をたたえている。「母なる大地」を思わせる地母神である。 J.山形・本山慈恩寺の仏像: 行基が創建した寺である。本山慈恩寺のある寒河江には藤原氏の荘園があったため、都の影響を早くから受け、仏教文化が栄えた。 15. 《十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)》鎌倉時代・13世紀: 重文。この十二神将は薬師如来とともにある華麗な仏像で、慶派の仏師の作と思われる見事な出来栄えである。 K.宮城・給分浜観音堂の仏像 16. 《十一面観音菩薩立像》鎌倉時代・14世紀: 重文。見上げるような背の高い仏像で、優れた出来栄えである。 290cmあるこの像は、海の向うの浄土を見渡す位置に立っているが、沖に出た人も含め、地域の人々を常に見守っている。海岸から近い場所にあるが、高台なので今回の津波の被害を免れた。 萱の木は福島より北には自生していないため、その伝来については種々の説がある。 ①前九年の役で滅んだ陸奥の国の安倍氏が、兵火を恐れて北上川支流の衣川に流したものが流れ着いた。 ②奥州藤原氏が、京より運ぶ途中に漂着した。 ③石巻市北方の桃生町にある日高見神社の本地仏が中世に移された。 L.東北の円空仏 江戸時代・17世紀: 円空仏といえばノミ跡が著しい後期の作品と異なり、東北の円空仏は初期の作品なので、表面は滑らかで、細部まで表現されている。 17. 《地蔵菩薩立像》青森・西福寺 18. 《釈迦如来立像》青森・常楽寺(→) 19. 《十一面観音菩薩立像》秋田・龍泉寺 東北にも有名な仏像が数多く存在していることは、水野敬三郎「日本仏像史」(美術出版社 2001年)にも記載されている。 しかし、今までこれらの仏像を拝観する機会はまったくなかった。 その意味で、東北の震災復興を目的として開かれたこの展覧会は、非常にありがたかった。 会場では、音声ガイドを借りて、ジックリと拝観し、その内容をメモしてきた。 会場に足を運ばれることを強くお勧めします。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2015-01-19 00:40
| 仏像
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