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2013年6月に広島市現代美術館を訪れた際に開かれていた「日本の70年代」展と「レイヤー」展には、《布の弛み》1970年と《影の母子像》1987‐88が出ていた。 2014年にBunkamuraで開催された「だまし絵Ⅱ」展には、《影の自画像》1964 徳島県立近代美術館蔵と《赤ん坊の影 No.122》1965 豊田市美術館蔵が出ていた。ちなみに、この展覧会には《ヒューズ&広重》という「リバースペクティヴ(逆遠近法)作品」も展示されていた。 ごく最近では、MOTコレクション展で《鍵の影》1969を、「赤瀬川原平の芸術原論展」で《第5次ミキサー計画 三人の物品と中西夏之》1963/1993の中で高松次郎の「紐」を見ている。 高松次郎(1936年2月生まれ)や赤瀬川原平(1937年3月生まれ)は、1936年9月生まれの私とほぼ同時代を生きてきた男たちなので、彼らの人生はなんとなく気になっていた。そこで衆議院議員選挙の投票を済ませから、大した予習もせずに東近美に出かけた次第である。 会場の入口を入ったところには、ダブルイメージの《No.273(影)》↓が掛っていた。高松は、実体と影は物理的に結びついているのだから、影だけを描いた時には、実体は消えて「不在化」してしまっていると考えているとのことだった。 その次は「影ラボ」という4つの体験コーナー。ここだけは写真撮影OKということなので、自分自身などを被写体として楽しんできた。 最初の「影ラボ1」は、二重の影を作る光源の位置の確認である。 この部屋は時代別に分けられた3つのセクションとこれらを俯瞰する「ルーフ」で構成されていた。 第1章:「点」 たとえば、一つの迷宮事件 1960-1963 ここには、《点》1961↓や《誕生》1960↓↓が出ていた。 その難解な説明を自分なりにフォローしてみると、以下のようになる。 完全な一次元の「点」を求めて、次第にその大きさを小さくしていったとすると、最終的には原子の構成要素にまで達することになるが、それでもなお一定の大きさがある。いずれにせよ、高松が作品を制作する前に、ドローイングに示されているきわめて複雑な思考を経て、そこから抽出されたものが実際の作品となっているのであるという制作のプロセスだけは理解できた。 「遠近法」の問題に関しては、前述のように《影》シリーズも関係しているのであるが、ここでは《遠近法の椅子とテーブル》1966-67↓という作品に注目した。 説明によると、三次元の物体を通常の遠近法によっていったん二次元の図形に落とし込み、それを三次元に復元させると、もともとの三次元物体とは違った姿の物体に再構成されるというのである。この作品によって高松が伝えたかったのは、西欧絵画の基本である「遠近法」には落とし穴があるということのようであった。 第2章:標的は決してその姿をあらわさない 1964-1970s 高松は、絵画における遠近法だけではなく、言葉による認識の不確かさにも挑戦した。 私自身はこの作品の「木箱」と細かくなってしまった「木片」を比較しながら、大昔に習った「エントロピー増大の法則」を想い出していたが、おそらくは私だけの妄想だったのだろう。 《複合体(椅子とレンガ)》1972↓は、4脚の椅子のうちの1脚の下にレンガを置いてバランスを崩している作品であるが、ここでは傾いた椅子は「座る」という機能を失い、レンガも本来の用途に使われていない。いずれも本来の名前とは異なる機能を持つ物体に変化しており、言葉と物体の関係の不確実性が指摘されているのである。 80年代に登場する「形」シリーズからは作品に飛躍的な展開が見られ、平面空間に線、面、色彩が溢れるようになる。《形 No.1201》1987↓のような色彩豊かな抽象絵画である。 目に見えない思考を優位に置くコンセプチュアル・アートの旗手であった高松が、ここに至ってその旗を降ろし、見る者の感動を第一義とする平凡な抽象主義画家に変質してしまったのであろうか。 会場内に設けられた一段高い「ステージ」からは、高松の多彩な作品を見渡すことで、その一貫した思考を感じてもらうという趣向のようだったが、思考放棄の産物とも思える抽象絵画のセクションを見て、巌頭の藤村操のように「曰く不可解」と一瞬つぶやいたが、それでは「同期の櫻」としてはあまりにつれない。 ここで、私がガモフの「不思議な国のトムキンス」という本を読んでいたころのことを不意に想い出した。この本は、「相対性理論や量子力学が日常的に観察できる不思議な世界」に入り込んだ主人公・トムキンスが、読者に最新の学問を理解させてくれる啓蒙書だったのだが、私自身はその内容の理解に苦しみ、最後まで読み終えることができなかった。 高松も日進月歩の科学の進歩をフォローしていかざるをえないコンセプチュアル・アートの世界に疲労困憊し、この歳になってコンセプチュアル・アートから逃避し、自縄自縛の世界から解放されたのではないだろうか。 会場出口には、高松の大きな写真があり、サングラスも用意されていて、高松とのツーショット撮影ができるようになっていた。 この高松が70年代後半からはトレードマークのサングラスを外していたと知って、すべてが氷解したと思った。 高松にとってのサングラスは、自分の思考に専念するために外部からの影響を遮断するツールだったのではあるまいか。そして、高松が自分の作品をコンセプト優先という内的世界に留まるものから、外部世界にも開かれたものとすると決意した瞬間に、サングラスは無用の長物となったのであろう。 「高松次郎ミステリーズ」における最大の謎を解決する鍵はこの「サングラス」だったのである。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-12-16 00:17
| 現代アート(国内)
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