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「プロローグ:辰野金吾と東京駅」には、東京駅丸の内駅舎を設計した辰野金吾が設計した多くの建物を描き、辰野の還暦祝いとして贈った後藤慶二の《辰野金吾博士作品集成図会》が出ていた(↓)。辰野が膨大な数の建物の設計に携わっていたことが一目でわかる印象的な作品だった。 1914年の丸の内は「三菱ヵ原」と呼ばれた原っぱにすきなかった。そのことは、地形図とジオラマとではっきりと示されていた(↓)。 赤煉瓦を基調とする「一丁倫敦」(三菱一号館など)、無装飾デザインの「モダニズム建築」(中央郵便局など)、白いコンクリートを基調とする「一丁紐育」(東京海上ビル・郵船ビル・鉄道省庁舎など)、「ルネサンス様式の鉄骨鉄筋コンクリート建築」(明治生命館)、「古典様式の鉄骨鉄筋コンクリート建築」(第一生命館)などで、私自身がよく知っている少し前の姿の丸の内である。 2014年の丸の内のジオラマは、高層ビルが立ち並び、ガラスのカーテンウォールでできた「クリアな街」に変貌してしまった現在の姿のものなので、将来参照されるものであるといえよう。 「第二章 東京駅の100年」は、今回の展覧会のハイライトである。 会場では数多くの展示品に加えて、何本もの映画や動画によって東京駅百年の歩みが丁寧に紹介されていた。それぞれの映写コーナーには椅子が置かれていたので、時間をかけてゆっくりと拝見してきた。このような映画や動画は図録に収めることのできないものだから、これらを観る時間は決して無駄なものではない。 東京駅が6年余りの工事を経て竣工したのは大正三年(1914)のことである。南北にドームを頂く創建時の建物は、大正12年の関東大震災ではほとんど被害を受けなかったものの、昭和20年の東京大空襲によって屋根と三階のほとんどを焼失し、その応急的な復旧のために、南北ドーム部と中央に八角形の屋根をが設置された。 私には、以前、空襲によって焼けただれた東京駅の残存部分を直接見る機会があったが、その際には、その悲惨なありさまを見て、思わず言葉を失ってしまったことを覚えている。 この八角屋根の東京駅が、その後繰り返し提示された丸の内再開発・東京駅高層建築化案を退けて、約60年間も持ちこたえ、そして2002年の東京駅復元工事完了によって、100年前の竣工直後の姿に復活していることは、まことに奇跡的なことであるというしかない。 「第三章 記憶の中の東京駅」は、楽しめる企画だった。 「文学の中の東京駅」では、島崎藤村「新生」、井伏鱒二「半世紀」、正宗白鳥「東京驛」、高浜虚子「丸の内」、江戸川乱歩「怪人二十面相」、志賀直哉「灰色の月」、内田百閒「阿房列車」、川端康成「女であること」、阿川弘之「にせ車掌の記」、松本清張「点と線」、北杜夫「どくとるマンボウ途中下車」、山口瞳「長崎、晴れるや」、三浦朱門「東京駅に思う」などから抜粋された名文を読んできた。 とりわけ、「赤レンガの東京駅を愛する会」の筆頭代表だった三浦朱門の言葉は、東京駅再開発計画を頓挫させてしまったものであるという意味で、今後にわたって拳拳服膺すべき言葉であると考えるので、ここに引用させていただく。 「赤レンガの東京駅のデザインをけなす人がいるが、あれは明治の-完成したのは大正だが-洋風建築の傑作の一つと私は思う。機能的ではないからといってこれを壊して、その跡に巨大な豆腐のような構造物を作ってしまうことは、明治以来、近代化を目指してきたわれわれの先輩に対して失礼であろう。」東京駅をテーマとした美術作品のうちのお気に入りは、新版画では山川秀峰の《東京駅と美人》1942年↓、創作版画では恩地孝四郎の《新東京百景 東京駅》1931年↓↓、油彩画では松本俊介《駅の裏》1942年↓↓などである↓。 (2)自動陸橋、(3)公設市場、(4)高架鉄道、(5)屋上野球、(6)空中電車、(7)自動饅頭、(8)達磨式耐震家屋、(9)高空消防署、(10)工業地帯、(11)無線電信、(12)地震予報台、(13)自動通路、(14)地下鉄道、(15)水上移動ホテル、(16)世界連絡船、(17)移動病院、(18)自動車競走場、(19)大運動場、(20)太陽熱会社、(21)住宅地、(22)航空機発着所この双六を詳細にみると、現在すでに実用化されているものもあるが、来たるべき「第二次関東大震災」の際に通用すると考えられる斬新なアイデアがいくつも詰まっている。 そのような未来志向の「大地震対策・傑作6選」を並べてみると、↓のようになる。 その意味で、今回の展覧会に来られた方々は、それぞれの想いをその時々の東京駅や丸の内に重ねてご覧になると思う。 自分の場合、母親が生まれたのが大正2年、すなわち「東京驛」がまだ工事中だったのであるから、親子二世代の人生と重なる時間である。 私自身も、中学校や高校の修学旅行をはじめとする、国内旅行の出発駅としての東京駅の思い出はいくつもある。 1997年には、「うすみどりの殿堂」と呼ばれていた旧国鉄本社の建物内にあったJR東日本社長室を訪れたこともあった。ここは現在「丸の内オアゾ」となって、完全にさま変わりしている。 ここでちょっと脱線するが、今年は新幹線で九州に出張する機会が多かった。その九州で、東京駅が開業したこの「大正3年」という年や当時の「鉄道」と関係するいくつかの出来事に遭遇した。 一つは、鹿児島本線の始発駅である「門司港駅」を訪れたところ、現在の駅舎が東京駅と同じ「大正3年」に移転開業した二代目の駅舎であることに気付いたことである(↓)。 17世紀オランダ風景画展1992年/ 19世紀フランス・ドローイング展1992年/ 印象派とフランス近代絵画の系譜 1994年/ ヴェネチアン・グラス展 1999年/ 20世紀静物画展 1999年/ 福田豊四郎展 1999年/ フォーゲラー展 2000年/ ラファエル・コラン 2000年/ シエナ展 2001年/ 北野恒富展 2003年/ 国芳・暁斎展 2004年/ 加守田章二展 2005年/ 無言館展 2005年/ 前川國男建築展 2005年それぞれの人のそれぞれの「東京駅」である。是非自分の人生の歩みと重ねて、この「東京駅開業百年記念展」をじっくりとご覧になることをお勧めする。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-12-13 19:00
| 国内アート
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