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ホイッスラー(1834‐1903)の作品はところどころで見ているか、このようにまとまった回顧展は初めてである。
![]() ![]() ホイッスラーは、1834年、米国マサチューセッツ州に土木技師の子として生まれ、父が鉄道建設の仕事のためロシアに移住するのに従い、1842年くらいからの数年間をサンクトペテルブルクで過ごした後、ロンドンやブリストルにも住んだことがある。1851年には米国に戻って陸軍士官学校に入るが1854年には中退して、ワシントンD.C.で地形図の「銅版画工」として働いた経験がある。その経験が画家となってからの彼のエッチング、ドライポイント、リトグラフ、リトティントの制作に役立っていたのであろう。 現在では「唯美主義」の画家の一人とされているホイッスラーも当初は「写実主義」からスタートした。ホイッスラーがパリに赴いたのは、1855年のことである。パリでは当時のリアリズムの巨匠であったシャルル・グレールのアトリエに通うが、その伝統的な画風にあきたらず、当時の革新的な画家であったギュスターヴ・クールベに強い共感を覚え、クールベ風の作品を制作した。 「ピーコック・ルーム」については前稿に書いたが、本稿では、ホイッスラー展の「第1章 人物画」の中のお気に入り作品を挙げていくこととする。 【参考】京都国立近代美術館出品作品リスト(英文入り) 9《アニー》1857/58: ホイッスラーはフランス滞在中の1857/1857年に、「フレンチ・セット」と呼ばれる12点の写生エッチング集を制作しているが、これはその1点である。「写実主義作品」ですね。 ![]() ![]() 13《倦怠》1863: ホイッスラーは1959年にロンドンに赴き、そこでロセッティらのラファエル前派の画家と知り合った結果、彼の作品に唯美主義的な要素が加わってくる。この《倦怠》はそのような変化が生じた最初の作品であるとされていたが、なるほどと納得できる。官能的な画ですね。 ![]() ![]() ![]() 21《黒のアレンジメントNo3:スペイン王フェリペ2世に扮したサー・ヘンリー・アーヴィング》1877、1885: こちらも「アレンジメント」。俳優のサー・ヘンリー・アーヴィングは、ベラスケスのスペイン王像に倣って描かれているようだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら 【参照】 ・ピーコック・ルーム ・第1章 人物画 ・第2章 風景画 ・第3章 ジャポニスム
by cardiacsurgery
| 2014-12-09 12:25
| 国外アート
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