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![]() この展覧会は3年前から企画されていたとのことであるが、2014年10月26日、展覧会が始まる2日前に本人が逝去したため、回顧展となってしまった。 赤瀬川は1937年3月27日の生まれであるから、終戦時には国民学校三年生で、小生と同期だったということになる。そういう意味で、自分の人生と重ね合わせながら、赤瀬川の画業を追って行った。 1.赤瀬川克彦のころ: 最初に出てきたのが油彩画《父の肖像》1952年である。父親は鹿児島県出身で倉庫会社勤務のサラリーマンで、母親は東京府出身。原平は6人兄弟姉妹の下から2番目で、とくに絵が好きだったとのことである。一家は父親の転勤であちこちと住まいを変え、原平は幼稚園時代から大分県大分市で育った。 次に出ていたグアッシュ《貧しき家族》1950年代には、父が失職し、一家は母親の内職で食べてい貧しい家族が描かれており、克彦が私淑していたゴッホの初期の暗い画を彷彿とさせる。 その後には、アフリカ芸術の影響を受けた作品がいくつも出ていた。 2.ネオ・ダダと読売アンデパンパンダン: 無審査の「第13回読売アンデパンダン展」に出品した《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》1961/1994↓と「第14回読売アンデパンダン展」の《患者の予言(ガラスの卵)》1962/1994は、貧しい時代の赤瀬川原平が廃品集積場で集めてきたものを組み合わせたオブジェである。 ![]() 後者は、捨てられていた男性用の股引などを使って、数多くの女性の身体の部分とも見えるようなオブジェを並べた作品で、作品の一部が飛び出してきているので要注意!(画像) 「第15回読売アンデパンダン展」に出展された《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)は有名作品で、中央に「千円札」、その両脇に「梱包」が並んだ大作品である↓。 ![]() ![]() 前衛美術家となった赤瀬川は、1960年、篠原有司男、吉村益信、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。さらに1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となった。 《第5次ミキサー計画 三人の物品と中西夏之》1963/1993 は、高松次郎の紐、赤瀬川原平の千円札と梱包、中西夏之の洗濯バサミとコンパクトオブジェで構成された写真で、三人のそれぞれを象徴するオブジェが並んでいた。 赤瀬川の《不在の部屋》1963/1995↓は、灰色の絨毯の上に、梱包された籐椅子・扇風機・ラジオが乗っているミクストメディア作品であるが、残念ながら、第15回読売アンデパンダン展で有名になった「梱包作品」の二番煎じと云わざるを得ない。 ![]() 人体の寸法を正確に測って、そのフィギュアを《シェルター模型》に閉じ込めるというアイデアもハイレッド・センターの発想であったが、有名人の人体図写真を撮って、各部の寸法を測定するだけで十分そのアイデアの目的を達しているということになったようで、ナム・ジュンパイク、オノ・ヨーコ、風倉匠、横尾忠則らの《人体展開図写真》1664が展示されていたが、完成作品よりもアイデアがすべてというアーティストたちの姿勢が表れている。 《宇宙の缶詰》1964/1994↓というアイデア作品が面白かった。 ![]() しかし、彼らはこの限界に挑戦し、さらなるアイデア作品を制作した。会場に展示されていたハイレッド・センターの《「閉鎖」シール》1964がそれで、このシールは羽永光利の写真「大パノラマ展 閉鎖された画廊の窓」1963/2013に示されているように、「大パノラマ展」案内状1964を出しながら、招待客は画廊の内部に入れず、画廊の外側だけ見て回るという計画なのであった。いうなれば招待客は「画廊の缶詰」の外に集結させられていたのである。 もちろん、このアイデア作品の種明かし作品も出ていた。平田実撮影の写真《大パノラマ展 画廊の扉を開けるジャスパー・ジョーンズ》1963/2014 がそれであり、画廊の中で大騒ぎしているところを撮った平田実の写真《大パノラマ展 観客たち(サム・フランシス、大岡信、小野洋子、瀧口修造)》1963/2014である。 石膏像の顔の部分にカメラを嵌め込んだ作品《ホモロジー・男》1964は赤瀬川のカメラに対しる関心を表すものであろうが、女性像の下半身にアクリルパイプを嵌め込んだ《ホモロジー・女》1964という作品は何を意味しているのだろうか。 ハイレッド・センターの《首都圏清掃整理促進センター》関係の平田実撮影の写真1964↓も面白かった。東京オリンピック開催に際して「東京の街をきれいにする」というキャンペーンに対する嘘の清掃活動で、参加メンバーは中西夏之・赤瀬川原平・谷川晃一・川仁宏・高松次郎・和泉達である。「掃除する参加メンバーを首を捻りながら見守る警察官」の写真もあった。 ![]() またこのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反に問われてしまい、1965年より「千円札裁判」を闘うことで、その名は現代美術界の外にも広まって行った。 ![]() ![]() この裁判は、1967年6月の東京地裁の一審で「懲役3年、執行猶予1年、原銅版没収」の判決となり、原銅版没収に関して上告したが、1970年に原審通りの有罪が確定した。他の押収品↓は被告のもとに戻ったが、現在市場では異常な高値がついているという。結果的には、司法は赤瀬川の作品にプレミアをつける役割を果たしたともいえるのである。 ![]() ![]() ここが8F最後のセクションである。篠原有司男、小野洋子、白南準、細江英公、土方巽、笠井叡などとのコラボ作品のセクションだったが、ここまでかなりの数の作品を見たり、説明パネルを読んできたので集中力が途切れてしまった。 ちょうど良いことに14.00から学芸員のギャラリー・トークがあるということで、そちらに参加することにした。8F担当の学芸員の話は、主要作品のバックグラウンドを含めた面白い話だった。 次に7Fに降りて、別の学芸員のギャラリー・トークを聞いたが、こちらは自分の好きな作品だけ紹介していくというやり方だった。 私の以後のブログ記事(7F:セクション6~11)は、このギャラリー・トークに影響されたことと自分の体力が消耗してきたという二つの理由から、自分の好みの作品だけを挙げていくというやや皮相的な記事となってしまっている。こういった省力化も赤瀬川の云う「老人力」に属するものなのかもしれない。 6.「櫻画報」とパロディ・ジャーナリズム: 赤瀬川は、千円札裁判が終了した1968年頃からは、漫画家・イラストレーターの領域に活動の場を移し、「櫻画報」の成功によって一躍パロディ漫画の旗手となった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 7.美学校という実験場: 赤瀬川は教職にも就き、自分だけの教室を「考現学」教場と名付けていたが、ここから南伸坊らの弟子が育った。目についた作品は、美学校生徒《谷岡ヤスジ「アギャーマン」のリアリスム描写》1970代などである。 8.尾辻克彦の誕生: 赤瀬川は、70年代末より文学の世界にも本格的に足を踏み入れ、1981年には芥川賞を受賞した。これに関しては、朝日新聞1981年1月20日付の「芥川賞受賞記事」や「文芸春秋 車内釣り広告」1898も出ていた。 9.トマソンから路上観察へ: 80年代以降は、「超芸術トマソン」や「路上観察学会」の活動を通して街中で発見した奇妙な物件を写真に記録・発表した。 ゲリー・トマソンとは大リーグ・ドジャースの現役選手で読売ジャイアンツの新外人として期待されていたが、完全に期待外れだった選手で、「不動産に付着されていて美しく保存されている無用の長物」を「超芸術トマソン」として探し出したのである。 特に面白かった「超芸術トマソン」は下記の5点である。 ・塀の後ろの樹と塀に映る木蔭が偶然に一致してマグリットの作品を想起させる《トマソン黙示録 午後3時 影が越境するとき》1988 ![]() ![]() 赤瀬川の《佐渡・二つ亀》1991などは印象派の作品と見まがうばかりの明るい風景画である。ステレオ写真に興味を持っていたらしく、《ステレオ兄弟》1992などのステレオ絵画が多数出ていた。 カメラ関係では、中京大学アートギャラリーC・スクエア《ライカ同盟三重視》ポスター1996や《カメライラスト「ライカⅢg」》2000↓などに注目した。 ![]() 1999年に発表したエッセイ「老人力」がブームを巻き起こしたことは、記憶に新しいが、「老人力」や「老人力2」1998 、1999 も陳列されていた。 このように赤瀬川は、非常に多彩な活動を展開してきたが、「平凡な事物や常識をほんの少しズラし、転倒させる」という制作姿勢は変わらなかったようである。そうすることで見慣れた日常を、ユーモアに満ちた新鮮な作品へと変えてきたのである。《模型千円札》、《宇宙の缶詰》、《トマソン》、《老人力》などすべてがこの独特のズラしや転倒の方法論から生まれたとまとめられていた。 その当否はともかく、今回の回顧展に展示されている膨大な作品数、数知れぬ交友関係、そして間断なき作風の変化は圧倒的なものであった。 赤瀬川は2011年に胃がんの手術を受けて以降、脳出血や肺炎で体調を崩していたという。最近、自分の生前葬音楽会を開催したシンガーソング・ライターがいたが、赤瀬川も今回の展覧会を生前葬展覧会と位置付けていたのであろう。 はしなくも、回顧展となってしまったこの展覧会場を去るに当たり、自分とは全く異なる道を懸命に走り続け、そしてゴールインした「同期の櫻」に合掌した。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-12-06 20:55
| 現代アート(国内)
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