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この展覧会は再見の作品が多そうだったので、ちょっと腰が引けていたが、最終日になったのでダメモトと思いなおして行ってきた。意外にも会場は大変な混雑である。例によって、お茶会の帰りらしい和服の御婦人方のおしゃべりに辟易しつつも、そこは堪えて行列に並んでじっくりと見た。 美術品の改変や再生という新しい切り口の展示企画の意図を汲みながら見ていくとなかなか面白い展覧会であることが分かってきた。 Ⅰ.唐絵の切断: 足利義教が自邸に後花園天皇の行幸を仰いだ際に、夏珪と牧谿の「瀟湘八景図」を巻物から軸物に改装し、各八幅を部屋の小壁に掛けたということであるが、今回は《瀟湘八景図 洞庭秋月》 伝 牧谿 南宋時代 徳川美術館↓が展示されていた。 今回出ていた《偈断簡(付衣偈)》 無学祖元 鎌倉時代(1280) 根津美術館と類似の断簡が大東急記念文庫に残っているが、これら二幅から一部が切り取られており、これには小堀遠州が関与したとのことである。 詩画軸《 芭蕉夜雨図》 室町時代(1410) 東京国立博物館の賛詩の部分は多数の詩を絵の横幅に合わせて継ぎ合わせているが、どうしてもはめ込むことができなかった詩二行は別片として別置されたというから、あきれたものである。これを制作したのは南禅寺の青年僧・一華建怤。 Ⅱ.古筆切と手鑑: 古い筆跡、すなわち古筆は平安時代の貴族の間で珍重された。古筆を所有したいという愛好者の貪欲な欲求によって巻物や冊子であった古筆は切断され、古筆切となった。数行で完結する和歌はとくにこのような古筆切に適していた。古筆切れは掛物として鑑賞することは、書院に墨跡が茶掛けとして飾らることにならって、室町時代後半には一般的になっていた。 また、古筆の切断は手鑑の制作へと発展していった。掛物が古筆切を一点ずつ鑑賞するものであるのに対し、手鑑は数十から数百の古筆切をアルバムに貼って、鑑賞や鑑定に役立てるものである。古筆切が「一本釣」なら、手鑑は「底引網」のようなものであり、手鑑の発展は古筆の切断に拍車をかけた。 今回は、 古筆手鑑「翰墨城」 奈良~室町時代 MOA 美術館↓が、会場一杯に広げられていた。 近代になると、財界の茶人たちによって新たな切断が開始された。旧大名家から出た古筆をどんどん分割し、新しい手鑑も作成した。これによって古筆は分散し、行方知らずとなったものが少なくない。彼らの文化財破壊行動はとうてい許されるものではないと思う。 「例え一部とはいえ、古筆が幾多の災害を乗り越えて温存されているという事実を彼らの切断の功績である」と述べている美術専門家がいるが、この論理は「盗人にも三分の理」である。 《三体白氏詩巻》 小野道風 平安時代 正木美術館は、ある時期に各詩ごとに切断され、楷・行・草の順に継ぎなおされたと推定されている。 《蓬莱切》 伝 藤原行成 平安時代は、元来は《五首一紙》と呼ばれた和歌五首を書き写した巻物だったが、昭和九年に一種ずつに分割して掛物に改装された。これは平戸藩松浦家に伝来したもので、松浦邸の庭園・蓬莱園にちなんで 《蓬莱切》と命名されている。今回はこの《蓬莱切》を二点見ることができたが、端正かつのびやかな文字である。 《石山切》 平安時代は、「本願寺本三十六人家集」のうちの「伊勢集」と「貫之集下」を、昭和四年に女子大学建設資金を調達するために分割して売却したもの。今回は、「伊勢集」伝藤原公任 としては、大和文華館・個人蔵・遠山記念館・梅澤記念館の四点、「貫之集下」藤原定信としては個人蔵の一点を見ることができた。 伝 藤原公任 平安時代の《大色紙》》・《中色紙》・《小色紙》を見ることができた。大色紙は三の丸尚蔵館蔵、中小色紙は書芸文化院・春敬記念書道文庫蔵である。これらも一連の巻物から分割されたものである。ちなみに大色紙の冒頭の和歌はすぐに読める↓。 我君は千よにましませさゝれいしのいはほとなりてこけのむすまて 《鳥獣戯画断簡》 平安時代↓を見ることができた。これは「甲本」の一部であるが、この断簡自体が三つの断片をつないだものであることを知って驚いた(継目=↓)。 《病草紙断簡》 平安時代が出ていた。発見当時には二曲一隻の風炉先屏風に他の四図とともに貼り交ぜられていたものであるが、各二図が泣き別れにされ、一方はこのような二幅対の掛物に改装された。 《平治物語絵巻 六波羅合戦巻断簡》 鎌倉時代 個人蔵・MIHO MUSEUM蔵・大和文華館蔵の三断簡を見ることができた。 「六波羅合戦巻」は、「三条夜討巻」・「六波羅行幸巻」・「信西巻」とともに当初は十数巻のセットだったと思われるが、現在は十四葉の断簡だけが残っている。全貌は東博の白描摸本でしか確認できないが、昭和十八年に分割されるまでは、十四葉が「武者絵鑑」という名の一冊の帖に古筆とともに貼りこまれていたとのことである。 《白描絵入源氏物語》鎌倉時代の残巻(浮舟・蜻蛉)と断簡三葉(浮舟・早蕨・早蕨)が出ていた、もとは《源氏物語」の本文に白描の挿絵を加えた冊子本であった。 《佐竹本三十六歌仙絵 斎宮女御》 詞・伝 後京極良経 絵・伝 藤原信実 鎌倉時代に再見。秋田の佐竹から出た二巻の巻物を大正八年に益田鈍翁が世話人になって切断され、抽選によって当時の財界人たちに売却された。益田鈍翁は抽選で僧侶を引いてしまったが、参加者の配慮によってこの《斎宮女御》を手に入れた話はあまりにも有名。「泣く子と地頭には勝てぬ」とはこのことだろう。 《駿牛図断簡》 鎌倉時代は、前十図のうち現在九図が残存しているが、今回見られたのは文化庁本と五島美術館本。 Ⅳ.さまざまな改装: このセクションに出ていたのは以下のもの。 ・襖を六曲一双の襖に改装した《仙人高士図屏風》 狩野永徳 桃山時代 京都国立博物館。 ・屏風から切り出して巻物に仕立てられた《源氏物語図 末摘花・手習》 伝 俵屋宗達 江戸時代 MOA 美術 ・屏風の押絵貼りをはがして掛物に改装した《旧金谷屏風》 岩佐又兵衛 江戸時代 滴水軒記念文化振興財団の「弄玉仙図」↓左と文化庁の「伊勢物語 梓弓図」↓右。 ・もとは冊子本だったものを巻子装とした《公余探勝図 下巻》 谷文晁 江戸時代(1793) 大分長くなってきたので、「茶道具」のセクションは別記事とする(こちら)。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-11-03 22:59
| 国内アート
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