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デ・キリコ自身「自分の画を理解できるのは世界で2~3人だろう」と述べているが、彼は本当に不可思議な画家である。 デ・キリコがニーチェの影響を受けたとする「形而上絵画」自体も非現実的で、理解困難であるが、それより不思議なのは、独自の特徴のある画風をいったん捨てて、古典的な絵画をしばらく描いた後、再び「形而上絵画」に戻ってきているという彼の画歴である。 会場の外のビデオの説明は分かりやすいものだったが、上記の疑問には少しも答えてくれなかった。 【追記】 2014/11/13の日曜美術館で、この疑問の大部分が氷解したので、以下、それぞれの部分に赤字で追記する。Ⅰ.序章:形而上絵画の発見 《ポール・ギヨームの肖像》1915年: デ・キリコはパリに出てきて知り合ったアポリネールにこの若い画商を紹介された。裸体の男性肖像画というのは珍しいが、画法は古典的なものである。 《福音書的な静物》・《遠い友からの挨拶》いずれも1916年: フェッラーラ時代の「形而上的室内画」。 《謎めいた憂愁》1919年: Ⅱ.古典主義への回帰: デ・キリコは30歳過ぎから画風を変化させ、古典主義的な作品を制作するようになったが、このような古典への回帰は、シュールレアリスムを先導していたアンドレ・ブルトンやマグリットからは激しく非難されたという。 この古典への回帰にはいくつかの理由がある。まず、イタリアに旅したデ・キリコはイタリアの画家カルセ・カッラがデ・キリコと類似の作品、《メタフィジカル・ミューズ》などを制作して、「形而上絵画の第一人者」と名乗っており、イタリアでは、デ・キリコは二番煎じとして扱われていることを知った。《自画像》 1922-25頃↓や《母親のいる自画像》1921年は写実的な作品。 《林檎と葡萄のある静物》1931年: 写実。上手い。 《谷間の家具》1966年:「無関係なものを異なる文脈の中に置く」デベイスマンの手法を使っている。 素描画が23点も出ていた。写実的な作品が多く、しかも出来が良いことに驚いた。 Ⅲ.ネオバロック時代ー「最良の画家」としてのデ・キリコ ブロンズ像が3点出ていた。テーマはともかく、その技術の高さには舌を巻いた。 馬を主題にした作品がいくつも出ていた。これは彼の「新たな形而上絵画」である。 《赤と黄色の布をつけた座る裸婦》制昨年不詳は、二番目の妻イザベッラを古代ギリシャの海岸を背景として描いた豊満な裸体画である。その輝く肌の美しさや肉体の柔らかさの表現は、ティツイアーノやルーベンスの域に達している。当時のデ・キリコは「絵画は色彩を積み上げていく織物だ」と述べている。 Ⅳ.再生ー新形而上絵画: 1940年以降、デ・キリコは形而上絵画に戻ってきて、以前の作品の複製のような画や以前のテーマを組み合わせた作品を描いた。デ・キリコのこの行為が非難されたことは云うまでもない。 当時は、デ・キリコの初期の作品の市場価格が高騰していたので、画商がそのような作品を欲しがり、美術評論家エリツィ・クリバウト氏の証言によると、「デ・キリコの妻からデ・キリコに初期作品の模作を制作するように説得してくれと頼まれた」とのことである。《吟遊詩人》1955: 沈黙と孤独が画面から伝わってくる。中央に描かれたマネキンは製図用具で構成されている。アーケードのある建物は以前に訪れたトリノの記憶。暗い空なのに、人影が描かれている。こういった現実の中の不安や謎、そして理解不可能なものを描きこむのが、デ・キリコの真骨頂である。日中、人の姿を見ないのも工業都市として発展中だったトリノの記憶である。 《不安を与えるミューズたち》1974年: 完全な前作の模作。 ここにもブロンズが3点出ていた。 《ユピテルへの奉納》1971年: これはお気に入り。山上に立つユピテルの姿が良い。 Ⅴ.永劫回帰ーアポリネールとジャン・コクトーの思い出: アポリネールの詩集「カリグラム」とジャン・コクトーの詩集「神話」のリトグラフ版画を制作したデ・キリコは、この二つの詩集のテーマを描いている。 《燃え尽きた太陽のあるイタリア広場 神秘的な広場》1971: 《エブドロメロスの帰還》1969年頃: お気に入り。デ・キリコは「エブドロメロス」という小説を書いていたのですね(参照)。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-10-26 13:59
| 現代アート(国外)
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