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その中で、もっとも印象深かったには陳澄波の《自画像》個人蔵↓である。 「二・二八事件」は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争である。1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、約28,000人もの本省人が殺害された。基隆では街頭に検問所を設け、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。会場では、自画像の行列の後、それぞれの作家の作品が展示されていた。台湾の近代美術の発展に大きな貢献を果たしたが、上述のように、1945年の第二次大戦終結後の大きなうねりによって翻弄されたことも事実であった。 まずは、上述の陳澄波(1895-1947、美校図画師範科留学1924-29)。彼は1895年嘉義に生まれた。出生時に母を失い祖母の手一つで育てられた。彼の愛情に溢れる《祖母像》1930年 個人蔵 も今回出展されていた↓。 何徳来(1904-1986、美校西洋画科留学1927-32)は、日本に定住しつつ故郷台湾に思いを馳せていたが、その作品《台湾の夕陽》 1929 台北市立美術館 は軽快で色鮮やかである。 ↓左は、王白淵の詩文集《棘の道》1931 嘉儀市政府文化局(参考文献)、↓右は、郭柏川の《台南祀典武廟》1929 台南市政府文化局。 寥継春(1902-76、美校図画師範科留学1924-27)の《芭蕉の庭》1928 台北市立美術館↓は、今回の展覧会のチラシの裏面に使われていた。台湾の大地に根ざした力強い民族画である。 李梅樹(1903-97、美校西洋画科留学19229-34)の《赤い服》1939 李梅樹美術館↓の窓辺に立つ赤い上着を着た女性の雰囲気がなんともいえない。 府中美術館で最近開かれていた「東京・ソウル・台北・長春-官展にみる-それぞれの近代美術」展に今回出展されていた台湾の作家の作品がいくつかでていたようだったが(出品リストはこちら)、残念ながら府中では見逃してしまった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-10-14 21:28
| 東洋アート
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