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この特集展示は東博と台東区立書道博との連携企画で、国内に多数所蔵されている趙之謙の書画・篆刻・印(印譜)・拓本などを前後期に分けて紹介している。
![]() 趙之謙は、紹興の裕福な商家に生まれたが、少年の頃に家産が傾き、貧困を余儀なくされた。彼は書画・篆刻で生計を立てながら勉学に励み、31歳で郷試(科挙の1次試験)に及第した。ところが、この頃から太平天国の乱は熾烈を極め、紹興の自宅は焼失、妻と娘も世を去った。絶望した34歳の趙之謙は号を「悲盦」(ひあん)と改めた。翌年、趙之謙は会試(科挙の2次試験)を受験するため北京に赴いたが、同好の士を得て、当事脚光を浴びていた金石学に没頭した。しかし、再三にわたって挑戦した会試にはことごとく失敗し、高級官僚の途を断念した。44歳の時、地方官として江西に赴任し、56歳で生涯を閉じた。趙之謙の画は、2007年に東博で開かれた「槐安居コレクション」展で見た3点を撮影しているが(ブログ記事: 前期・後期)、これらは、今回はいずれも後期展示となっている。 ・《花卉図四屏》1861年、33歳、東博蔵、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・《臨楊大眼造像記横披》1868年頃 40歳頃 個人蔵 / 《拓本「楊大眼造像記」》 AD500年頃 東博蔵: 前者、すなわち《臨楊大眼造像記横披》は、趙之謙が、楷書の名品《楊大眼造像記》を臨書したものである。 「楊大眼」(?~518)とは、北魏の孝文帝(在位:471~499)と宣武帝(在位:499~515)に仕えた軍人で、この楊大眼が亡くなった孝文帝のために寄付を募り、釈迦像一体を造立して供養した際に石に刻して残した文章が《楊大眼造像記》なのである。 ![]() ![]() 両者は同じテーマの作品であるが、仔細に見ると多少の差が認められるようである(参照)。 ・《富貴図軸》1872年 44歳 東博蔵: この年、趙之謙は高級官僚を断念し、地方官として江西に赴いた。 ![]() ・《行書七言古詩四屏》1883年 55歳 東博蔵: 「虎斑箋」に行楷書で七言古詩を揮毫した4屏。款記から没する前年の作であることが分るが、老熟した「逆入平出」による最晩年の傑作である。ちなみに、「逆入平出」というのは、包世臣(1775~1855)があみ出した筆法とのことである。 ![]() 会期は、東博・台東区書博ともに、前期は8月24日(日)まで、後期は8月26日(火)から9月28日(日)まで。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-08-22 00:58
| 東洋アート
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