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鈴木治(1826-2001)の大規模回顧展の内覧会に行ってきた。
![]() 鈴木の「焼締め」の技法は、会場を出たところの動画で紹介されていた。まず信楽の白い土を素焼きして、その上に薄く溶いた赤い土を刷毛で何度も塗り重ねていく。その後、灰を吹きかける。これを焼成すると、灰のかかっていない部分は赤褐色、灰のかかった部分は黒褐色、灰が沢山かかった部分は黄褐色に仕上がって、褐色系の色彩の微妙な変化が生じる。 ![]() これらはその形態が独特である。タイトルを読んでから作品を見ると、なるほどそのようにも見えてくる。馬といわれれば馬に見える。動物の形態の細部を削ぎ落として馬なら馬らしき造形に仕立て上げているのである。 鈴木の当初の作品は完全なオブジェではなく、最低限の具象を残した造形だと云えるのかもしれない。鈴木はオブジェという名称を嫌って、「泥象」と呼んでいたとのことである。 鈴木治の作品として有名なものには、上述の赤い「焼締め」の他に、清冽な「青白磁」がある。両者は色彩的には対極に位置していると云ってもよい。 ![]() 旧知の冨田館長にお会いしたので、このことについて伺ってみた。すると「別なものも作ってみたかったのでしょう」との答えが返ってきた。鈴木自身が、泥臭い縄文人のDNAとすっきりとした渡来系弥生人のDNAを併せもっていたのだろうか。 もちろん、今回のような現代陶磁を汝窯の青磁や景徳鎮の靑白磁といった古典陶磁と同一視することはできない。電気釜やガス釜を使うことによって、温度や酸化還元状態などの焼成の過程を偶然に任せず、ある程度コントロールできるようになってくると、ほぼ同質の発色が得られる。今回展示されている多数の靑白磁の作品を観て、その感を強くした。 伝統的な青磁や青白磁では、釉薬が凹んだ部分にたまって独特な風合を持っていたのだが、現代の青白磁では色調が均一でどれをとっても同じようにみえるような気がしたのである。テクノロジーの進歩は作品の均質性を高め大量生産につながるというプラスの効果をもたらす一方で、作品の独自性を低めるというマイナスの結果も生んでいる。 鈴木は自分の軌跡を、【「使う陶」から「観る陶」へ、「観る陶」から「詠む陶」へ】と記しているとのことである。 当初、鈴木が口を閉じってしまったやきものを作り、「使う陶」から「観る陶」へ、すなわち「用の美」から「無用の美」に転進したことは、当時の前衛運動としては当然の帰結であって、若者の気負いとだけ決めつけることはできない。 しかしながら、実際問題としては、鈴木が「使う陶」、すなわち生活工芸(クラフト)に携わっていたことも事実であり、その作品が実に素晴らしい。 ![]() ![]() 鈴木の陶芸を通覧すると、「使う陶」・「観る陶」・「詠む陶」のいずれにも素晴らしい作品が残っている。「使う陶」・「「観る陶」・「詠む陶」の3者は鈴木の軌跡、すなわちそれぞれを始めた時期の順序を指しているのであって、鈴木はそれぞれの時期に於いてこの3者をバランス良く制作していたのである。 作品とタイトルを見くらべながら、自分の感性を試すことのできる良い展覧会でした。お勧めします。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-07-26 22:29
| 現代アート(国内)
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