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孫娘たちがバレエを習っているので、その発表会に行ったことはあるが、それ以外には数えるほどしかバレエを観た記憶がないので、何となく場違いの感じがしないでもなかったが、「美しいものは美しい」と単純に考えて見てきた。 以下は、自分のためのメモである。御用とお急ぎの方はパスしてください。 バレエ・リュスとは、1909-29年にディアギレフによって主宰され舞踊や舞台デザインに革命をもたらしたロシア・バレエ団。伝説のダンサー兼振付家ニジンスキー↓をはじめ、マシーン、ニジンスカ、リファール、バランシンなどの有名振付家を輩出した。バレエ・リュスのために《火の鳥》や《春の祭典》を作曲したストラヴィンスキーの他に、ピカソ、マティス、コクトー、ブラック、ローランサン、シャネルら前衛アーティストを取り込み、「総合芸術」としてのバレエを確立した。 展示は以下の4章立て。 I.初期 1909-1913年 (ロシア・シーズン) 1909年5月にパリのシャトレ座で《アルミードの館》(美術・衣裳デザイン:ブノワ)、《ポロヴェツ人の踊り》↓、(レーリヒ)、《饗宴》(ゴロヴィン、本展不出品)で鮮烈なデビューを果たしたバレエ・リュスは、その後《クレオパトラ》(バクスト)や《シェエラザード》(音楽:リムスキー=コルサコフ、美術・衣裳デザイン:バクスト)↓↓、《火の鳥》(ゴロヴィン、バクスト)↓↓↓、《ペトルーシュカ》(ブノワ)などの傑作を次々と発表した。 II.中期 1914-1921年(モダニズムの受容) 1914年に第一次世界大戦が勃発した頃、ディアギレフはそれまでの東洋趣味を離れ、ピカソやコクトーら若手の前衛アーティストをバレエ・リュスの活動に取り込んだ。振付家としてマシーンがコミカルさという要素を加えた。この展覧会では、ゴンチャロワが美術および衣裳デザインを担当した《金鶏》(音楽:リムスキー=コルサコフ)の衣裳デザイン↓やマティスがデザインした《ナイチンゲールの歌》(音楽:ストラヴィンスキー)のコスチューム↓↓も展示されていた。 この時期にはニジンスキーの妹ニジンスカが振付を担当し、《結婚》(本展不出品)や《牝鹿》(ローランサン)、《青列車》(コクトー、シャネル、本展不出品)など、モダンで洗練された作品が数多く生み出された。この時期、《眠り姫》(バクスト)↓や《オーロラの結婚》(バクスト)などチャイコフスキーやプティパによる伝統的なクラシック・バレエの最高傑作も上演された。 ディアギレフの没後、バレエ・リュスは解散し、バレエ・リュスに触発されたバレエ団が数多く誕生した。中でも重要なのは、1932年にバジル大佐とルネ・ブリュムによって結成された「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」で、ディアギレフのバレエ・リュス時代の主要メンバーが参加して世界中を広く巡業した。この展覧会では、《予兆》(マッソン)や《公園》(リュルサ)などが展示されていた。 ディアギレフの没後、リファールはパリ・オペラ座の芸術監督を務め、バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団の母体をつくるなど、世界各地のバレエ団の礎はバレエ・リュスの出身者たちによって築かれたとのことだった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-07-21 09:34
| 国外アート
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