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今回のオルセー展のサブタイトルは「印象派の誕生ー描くことの自由」である。章立ては以下のようで、マネに始まり、マネに終わっている。
1.マネ、新しい絵画オルセー展は何回も見ているが、実物を再見するのも楽しみである。今回の展覧会のチラシは↓であるが、マネの《笛を吹く少年》には「世界一有名な少年、来日。」という大げさなキャッチコピーが付けられており、モネの《草上の昼食》は「モネ、最大級の傑作、初来日。」とあおられている。 ![]() ・マネと音楽: 《笛を吹く少年》↑左・《ピアノを弾くマネ夫人》↓私の「オルセー展」記事は、これとは順序は異なるが、モネ、バジール、マネなどについて一点ずつ取り上げて、少し掘り下げて書いてみたい。会場の説明は簡単でやや物足りなかったからである。 そのⅠは、モネの《草上の昼食》↓である。 ![]() モネの念頭にあったのは、1863年の落選展で物議をかもしたマネの《草上の昼食》。マネの作品は、ティツイアーノの《ウルビーノのヴィーサス》やラファエロの《パリスの審判》(ライモンディの版画)といったルネサンス期の古典的作品を下敷きにしながら、現代生活の情景を描いたものであったが、モネはこのような古典作品に依存する方法を排して、真の現代生活の情景を描こうとしたのである。 そのためモネはシャイイに滞在して、素描やエスキスを描いた。↓はプーシキン美術館にあるエスキスで、全体の構成が示されている。 ![]() ![]() しかし、1878年に、家賃未払いのためアルジャントゥユの家主にとられ、モネの手に戻ってきた時には,湿気のために相当の損傷をきたしていた。そのため、モネは画面を切断・損傷部位を破棄した。残ったのは左側断片と中央断片である。これが今回並んで展示されているのである↑↑↑。 なお、中央断片の坐る男性はクールベに変更されている↓。 ![]() ところが、モネはこの失敗をキッカケとして、戸外で直接巨大作品を描く新しい方法を開発した。庭に溝のような穴を掘り、カンバスの上方を描く時には滑車でカンバスを降ろすという方法である。この方法によって一貫した固定視点を設定して目に見えるものの忠実な再現が可能となった。 ![]() 以上、モネが外光派絵画への第一歩を踏み出すキッカケとなったのは、素直に「失敗に学んだ」ためだったという物語でした。 美術散歩 管理人 とら 【参照】 ・第1報 モネ《草上の昼食》 ・第2報 バジール《家族の集い》 ・第3報 マネ《ロシュフォールの逃亡》
by cardiacsurgery
| 2014-07-18 14:22
| 印象派
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