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この番組は、2014年6月29日(日) 午後9時00分~9時49分 NHK総合TVで視聴した。前日の第1回のメモはこちらであるが、以下は第2回目のメモ。
第1章 青花に秘められた皇帝の戦略 この時代、明とオスマン帝国の中間に栄えていた「サファヴィー朝」の拠点であるアルダビル廟(現イラン、世界遺産)の一番奥の部屋は「磁器の間」と呼ばれ、以前には壁の一つ一つの穴に「青花」が飾られていた。この部屋にある《青花穿蓮龍文天球瓶》は、故宮にあるものと全く同じもので、現在東博で展示されている。 この時代の明では、北方のモンゴル、オイラト、東チャガタイ・ハンが軍事的脅威となっていた。国の安定のため、永楽帝は朝貢外交という戦略に打って出た。 具体的には、1405年、永楽帝から大航海を命じられた鄭和(参照)は、300隻の大船団を率いて、約30か国をめぐったが、サファヴィーもそのなかの一つであった。サファヴィー朝に対して明の朝貢国となること、すなわち山東省・承徳にある永楽帝の夏の離宮「避暑山荘」に使節を送って明に臣下の礼をとる代わりに、明はこの使節に対して莫大な財宝を与えることを提言したものと考えられる。その財宝として利用されたのが、この青花磁器であった。 このようにして、60以上の国が明に「朝貢」するようになり、その結果磁器が世界に広まった。「青花磁器」がもたらされる以前のサファヴィーの焼き物は、粘土を低温の窯で焼き上げるザラザラとした「陶器」で、カオリンという土を使って高温で焼成してできる薄くて滑らかな「磁器」との差は明瞭であった。 イスラムの細密画「パレード」には、貴重な「青花」が恭しく運ばれる様子が描かれており、《安南国阮氏接見図》には、安南国の王子が朝貢に訪れた様子が描かれている。 磁器制作の本拠地の景徳鎮の発掘調査では、中東の遊牧民族の水筒を模した《青花扁壷》やペルシャの燭台と同形の《青花燭台》が出てきている。 番組に登場された作家の浅田次郎氏は、中国は「地大物博」の国であるため、「交易」によって他の国から資源を得る必要がなかったから、このような「朝貢外交」を選択したと述べておられた。 永楽帝は、諸外国に君臨していることを自国民に見せつけることによって、自らの悪行を払拭していたともいえるとのことである。永楽帝は、文化の力がなければ国が治まらず、権力を維持できないということを知っていたのであろう。 青花磁器は、17世紀に有田焼ができ、18世紀にマイセン陶器ができるまで、中国の朝貢外交に貢献していた。 第2章 超絶技巧の作品ー象牙透花人物外套球 これを内視鏡カメラで覗くと、球は入れ子状態となっていて、奥の球にも透かし彫りが施されている。3Dスキャン画像では、球のひとつひとつがつながっていないことから、これは一本の象牙から彫り出されたものであることが分かる。 ドレスデンのザクセン選帝侯の宝物館には「象牙の間」があり、ここには200点以上の象牙彫刻が並んでいる。そして、その中にはこのような多層球 Kugel in Kugel が何種類も並んでいる。 パリ工芸技術博物館にもこの球があり、これは地動説の理論モデルとして作られたとされている。 これらは16世紀後半に作られたもので、故宮の多層球よりも100年以上前のものである。 ドイツ・エアバッハの象牙マイスターであるヘルムート・イェーガーさんによるこの制作の実演が紹介された。 まず数学や幾何学による計算で、7か所の穴を開ける部位を決める。そして、穴の奥の方から、鉤型の工具で象牙を削っていく。これには機械文明の結晶ともいうべき「旋盤」が不可欠ということであった。 実際には、清に旋盤があったこと、これはドイツから清の康熙帝に献上されたものであることが文書に残っている。 中国の「古観象台」には、当時中国に伝わった天体観測器具も残っている。このようなものを伝えたのはキリスト教の宣教師フェルビーストである。実際には、これはヨーロッパの布教に名を借りた植民地政策であったのだが、康熙帝はそのことを十分に承知の上で、禁教政策を出したり引っこめたりしながら、西洋の科学技術を取り込んでいったとのことである。 このような康熙帝の政策に対して、保守的な清の学者から強い反対があったため、西洋のものをそのまま受容するのではなく、龍をつけるなど中華思想を付け加えるかたちで受け入れた。 象牙多層球の場合にも、細かい透かし彫りを加えることによって中国独自のものとし、西洋へ逆輸出もしていった。 第3章 故宮最大の宝ー四庫全書 中には日本人・山井鼎が補った漢籍や安南やポルトガルの書籍も含まれており、異文化を重要視する乾隆帝の姿勢が見てとれる。 満州族にとって不都合な字句を修正する一方、漢民族を含む異民族に対しては気を使って、例えば「東夷」という差別的な言葉が含まれている文章はすべて削除し、不都合な書籍は焼却処分にしたという。 乾隆帝は、多民族国家・中国において、対話と自省を繰り返しつつ柔軟な政治を行っていったのである。 番組は、「清朝が滅亡して100年経った現在、故宮の宝から文化の力で国を治めようとした皇帝たちの苦悶の跡が読み取れる」という言葉で結ばれていた。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-06-29 23:41
| 東洋アート
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