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この番組を、本日、2014年6月28日(土) 午後7時30分~8時43分 NHK総合TVで視聴した。
以下は 番組中を視聴しながらのなぐり書きのメモ。 第1章 清朝末期における故宮の至宝 主人公の荘尚巌は、1928年に日本に留学して考古学を学んだことがあったが(参照)、満州事変が拡大してきた1933年2月には、北京の故宮の文化財を木箱に詰め、荷車に乗せて貨物列車で上海に移動させる役割を担っていた。 番組では、荘尚巌の三男・荘喆氏と四男・荘霊氏が父・荘尚巌の思い出を仔細に話してくれていた。 1935年、上海に移送された文化財のうち735点が、イギリスの軍艦・サフォーク号でロンドンに運ばれ、「中国藝術国際展覧会」で、100日間展示された。これは初めての海外での披露であり、精巧な清の《藍地描金粉彩魚文回転瓶》やローマ時代以前の中國古代青銅器(BC1300-1100年)など100種類以上の文物がが展示されており、会場には42万人以上の観客が訪れた。そして自分たちの先祖がまだ裸の野蛮人として暮らしていた頃に、中国ではこのような文明が開花していたことに驚嘆した。 ロンドン大学のアントニー・ペスト教授によると、この展覧会が開催された裏には、日本と戦う中国の意図があったとのことである。すなわち。これは日中間に「ソフトパワー戦争」があり、「日本に負けてはならない」と考えた中国政府は、この展覧会を「文化的なプロパガンダ」として使うこととした。そのため、当初は英国のコレクターが開催する予定だったこの展覧会の共催者に、蒋介石が加わった。 満州国に関する国際連盟調査団の団長として、満州国の存続を認めないとする勧告案を書いたリットン卿がこの展覧会に関与している「中央古物保管委員会」の委員になっていることは日本に衝撃を与え、日本はリットン卿をこの委員から外すべく動いたとのことである。 中国のこの展覧会は大きな成果をあげ、イギリスでは日中間の問題に関しては中国の支持者が増えたとのことである。しかし、荘尚巌はこのように文化財を政治的に利用することについては強い違和感を持っていた。 第2章 故宮文物の移動 1937年に日中戦争が本格的となり、上海も安全とはいえなくなってきたため、故宮の文化財はいったん南京に移されたが、さらに1939年には、3000キロ離れた貴州省安順の洞窟内に移動された。 当時39歳だった荘尚巌は、洞窟内の湿度が高いため、カビ発生の危険が高いと考えて、日本留学中に訪れたことのある正倉院の構造を真似て、高床式の倉庫を洞窟内に造った。日中戦争のさなかにおいても、「良いものは良い」とする荘尚巌の精神が生かされたのである。 台北の馮明珠・国立故宮博物院院長も、中国から日本に漆工芸が伝わり、逆に日本から中国に蒔絵が伝わり、それぞれの地で発展していることを例にあげて、「日中はお互いに良いものを学び合ってきたし、これからもそうでなければならない」と話された。荘尚巌の考え方もまさにその通りであったし、この考えに同意する人は多いと思う。 一方、現在、大英博物館の中國美術室に、故宮の文化財が多数陳列されている。ステイシー・ピアソン博士によると、帝位を失った後も紫禁城に留まることを許されていた「宣統帝溥儀」が、中華民国からの支給金が少ないために、多額の借金を拵えてしまい、その抵当に入っていた故宮の文化財が英国人コレクターの手に渡っていったとのことであった。 同様に、米国カンザスシティのネルソン・アトキンス美術館に所蔵されている明の《蓮の生涯 Life Cycle of the Lotus》(画像)に、「宣統帝御覧之印」が押されている。この美術館のコーリン・マッケンジー学芸員の話によると、いずれ紫禁城を追い出されると考えて弟を使って文化財をあらかじめ天津に運んでいた溥儀から、当時のローレンズ・シックマン学芸員が、1931年に4点の文化財を購入しているとのことであった。 第3章 文化を伝える 戦後、南京に戻っていた故宮の文化財は、国共内戦のため、1948年にその3割が台湾に運ばれ、残りは大陸に留まることとなった。 1948年12月に台湾に向かう船には多数の人間が殺到し、故宮の文化財は3回に分けて移送せざるをえなかった。また、4日間の船旅の間、海は大荒れで、文化財の箱を荘尚巌たちで押さえたこともあったという。こうやって、8か月後の1949年10月、台湾の基隆港に3924箱の故宮文化財が到着した。 1961-62年には、米国の5都市で「中國古芸術展覧会」が催され、陳列された253点の故宮文化財は70万人の観客の目に触れ、強い感動を与えた。 3年後の1965年に、台北に博物院の建物が完成し、66歳となっていた荘尚巌はその副院長に就任するかたわら、書道にいそしんだという。現在、台北の「国立故宮博物院」には年間450万人の観客が訪れている。 故宮の文化財は、このように政治とはまったく無関係な荘尚巌の努力によって守られ、そしてその努力の果実は観る者の心を大きく動かしている。 「ミスター故宮」とも呼ばれる荘尚巌は、1980年にこの世を去った。享年80歳。 「日本の文化の良さを十分に理解していた荘尚巌は、今回の日本での初の故宮展開催を心から喜び、日本人なら必ずその良さを理解してくれると思っているだろう」と荘尚巌の2人の息子がともども話していた。 北宋の徽宗皇帝が憧れていた五代・南唐の趙幹が描いた《江行初雪図》(画像)には、金、元、明、清の皇帝がそれぞれの印を捺している。このように、故宮コレクションは時代を超えて連綿と繋がってきたのである。 シリーズ 故宮の第2回「皇帝の宝 美の魔力」は、明日、午後9時00分~9時49分 NHK総合TVで。 美術散歩 管理人 とら 【追記】 第2回のブログ記事はこちらです。 【文献1】 愛新美術館: 故宮の宝物 故宮の宝物 豆知識 愛新覚羅美術館ホームページ 【文献2】 家永真幸: 故宮博物院をめぐる戦後の両岸対立(1946-1966) 日本台湾学会報 9: 93-114, 2007
by cardiacsurgery
| 2014-06-28 23:38
| 東洋アート
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