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デュフィは私が大好きな画家である。彼は、フォーヴの大胆な色彩と奔放な構図を、抒情的な線と透明で豊かな色彩へと高めていった画家ということになっている。海・競馬・音楽・花・収穫などを得意の主題とし、絵画と装飾の両者で自己表現をしている。
主題も良いが、何とも優しい色遣いがたまらない。彼がフォーヴの仲間であったというほうが不思議である。 2006年4月に、旅先の大丸ミュージアム心斎橋で偶然に見た「デュフィ展」では、第一部の「絵画」と第二部の「ファブリック・デザイン」が完全に分かれており、花・動物・オルフェなどのテキスタル・デザインは目を見張るばかりだった(HP、Blog)。 その後、2006年8月には、鎌倉大谷記念美術館で「微風展‐デュフィを中心に」を、2009年5月には、三鷹市美術ギャラリーで「ラウル・デュフィ展」を見て、ホームページやブログに訪問記事を書いている(①、②)。 ![]() 展覧会の章立ては、以下のようである。 第1章 1900‐1910年代 造形的革新のなかでデュフィは、音楽好きな父親のもと、ノルマンディーの港町ル・アーブルで生まれた。父の仕事は鉄工所の会計係でそれほど豊かではなかったため、14歳の時には学業を中断し、輸入会社で事務員として働いている。画は地元の美術学校の夜間クラスで学び、1899年に奨学金を得てパリの国立美術学校に入学した。 初めは印象派風の作品を描いていた。↓の《サン=タドレスの桟橋》1902年は、ブーダンの作品を彷彿とさせる画。そういえば、ブーダンもル・アーブルで育ったのでしたね。 ![]() ![]() デュフィは、1907年にサロン・ドートンヌで開かれた「セザンヌ展」で感銘を受け、セザンヌゆかりの南仏のレスタックで、ブラックとともに制作を行っている。↓は1908年の《レスタックのアーケード》で、色彩は緑と黄土色に限定され、形態を幾何学的に単純化しようとする「セザンヌ的キュビスム」の影響が感じられる作品である。 ![]() 1907年からの4年間、デュフィは木版画の制作に力を注いでいる。 ![]() 「花」も、デュフィの装飾美術の重要なテーマだった↓。 ![]() テキスタイルの染織においては、染める色によって異なる版を用いるため、模様の輪郭線の中に色彩が必ずしも納まらない。これは浮世絵版画と異なり「見当」が付かないためであるが、デュフィは逆にこのことを絵画に応用し、「線と色彩が互いに独立した表現形式」を発展させていく。さらに木版画やテキスタイル・デザインで培った「装飾性」をこの「線と色彩の独立」に融合させて、デュフィ独自のスタイルを完成させていったのである。 そのような「線と色彩の独立」は、水彩画《ヴァンスの城壁の眺め》1919年↓にも認められ、油彩画《ノジャン、ピンクの橋と鉄道》1935-36年↓↓では、右から青・緑・桃色の色の帯と対象を描き出す線とが完全に独立している。 ![]() ![]() ↓の《ニースの窓辺》1928年はその最たるもので、窓の外の空・浜辺・海が青く染まり、その「青」が窓ガラスや窓枠のみならず、室内の机・椅子・鏡・絨毯までを青く染め上げている。この画では室内外の「青」が窓を通して交通しているのである。 ![]() 装飾絵画では、↓の《マキシム》1950年が素晴らしい。 ![]() 家族ともども音楽好きだったデュフィは有名な音楽家のオマージュを何枚も描いている。↓はその一枚《クロード・ドビュッシーへのオマージュ》1952年である。 ![]() ![]() 非常に良い回顧展だったと思う。お勧めします。 美術散歩 管理人 とら 【註】《電気の精》に描かれている科学者・技術者のリストはこちらです。
by cardiacsurgery
| 2014-06-19 20:40
| 印象派後期
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