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金沢文庫のこの展覧会は6月22日までまだ開催中だが、これと重なるように6月11日からサントリー美術館で「徒然草‐美術で楽しむ古典文学」展が開かれている。 昨日の6月13日、梅雨の中休みのような晴天に誘われての久し振りの「美術散歩」ということで六本木に出かけた。 途中で雷雨の襲来があったらしく、出てきたときには舗道がびしょ濡れだった。地球温暖化のためか最近の東京の気候は亜熱帯化している。 このサントリーの展覧会は、前述の金沢文庫の展覧会と重なるところが多かったが、概していえば、金沢文庫展は玄人向き、サントリー展は素人向きである。 例えば、「兼好の出自と官職」については、金沢文庫では「兼好の出自(朝廷の神祇官に勤仕する卜部氏吉田流の傍流)や官職(五位の左衛門佐)の通説は偽作された卜部氏系図に基づくもので、出家前の兼好は六波羅探題在任中の金沢貞顕の被官(六位の侍)だった可能性がある」となっているのに対して、サントリーでは「兼好は、神官である卜部兼顕の子として、1283年頃に生まれ、二十代の前半には六位の蔵人として後二条天皇に仕えた。三十歳以前にはすでに出家し、少なくとも七十歳過ぎまで生きたと考えられているが、兼好の経歴については歴史資料が乏しく、あまり詳しいことは分からない」となっていた。 「兼好法師と和歌」としての要点は、二条為世(1250~1338)に師事する歌人として世に知られていたということである。ことについては、両展覧会に差はなかったが、今回は《和歌四天王図》として二条為世門下の頓阿・慶運・浄弁・兼好の像が見られるという収穫があった。 「徒然草の歴史」については、兼好が徒然草の著者であるとの記録は、当時の文献には記されておらず、その成立時期や成立過程も明確でない。 徒然草が成立したと考えられる鎌倉時代末期から約100年経った室町時代になってから、次第に歌人や連歌師たちによって、共感をもって迎えられるようなり、江戸時代になり一気に幅広い読者層を獲得したという歴史となっている。 室町時代の「徒然草再発見」の端緒となった《正徹日記》国文学研究資料館蔵が今回の展覧会に出ていた。また、徒然草の写本としては、正徹本・常緑本・烏丸本・幽斎本の4系統の写本をすべて見られたが、研究者とは程遠い「とら」は、サラリと眺めて通るだけ。 「徒然草絵」のセクションに来ると、一気に元気が出てくる。 まずは、松永貞徳の《なぐさみ草》。これは紙本木版墨摺の版本で、金沢文庫でもここサントリーでも出陳されていた。これは「徒然草絵」の基本となっていく8冊本であるが、この中にはモノクロの挿絵が157図も入っている。 ここでは、有名な第53図をアップする↓。これは仁和寺の坊さんの話。小僧が坊主になる名残の宴会で、酔っぱらったあげく、調子に乗って三本足の「鼎」を頭にかぶって踊る坊主が描かれているが、この「鼎」が抜けなくなってしまい後で大騒ぎとなる。 しかしながら、今回の花形は、ほぼ全段(第57段は文字のみ)を描い海北友雪の《徒然草絵巻》20巻 サントリー美術館蔵である。丁寧なパネル説明を読みながら絵巻を見ていくと、「徒然草」を読了したことになる。上品な淡彩の絵も好感が持てた。↓はその序段である。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-06-14 09:27
| 国内アート
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