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軍師・黒田官兵衛(孝高 よしたか)は今年のNHK大河ドラマの主人公。信長、秀吉、家康、3人の天下取りの行方を左右した男なので、まず今回の展覧会に出ていた信長、秀吉、家康の像をアップする。
![]() ![]() ![]() ここでは、《黒田家譜》15巻・16冊、祖父・黒田宗卜(重隆)や父・黒田職隆(もとたか)の書状、織田信長荒木村重宛書状などを見て、あのドラマのリアルワールドを実感する。 官兵衛は、主君の小寺政職を説得して1575年に岐阜城の信長のもとに赴くが、当時の岐阜城から出土した瓦にかすかだが金箔が残っているのをみると、当時の信長の勢いが偲ばれる。 2章 有岡城幽閉 信長の命を受けた羽柴秀吉は、1577年以降、官兵衛の協力のもとで播磨平定を進めるが、翌年に三木城の別所長治、有岡城の荒木村重が相次いで織田方を離れて反旗を翻す。 官兵衛は村重の説得に単身乗り込むが、有岡城内の牢に幽閉されてしまう。先週の大河ドラマはここで終わっていた。 官兵衛(孝高 よしたか)が有岡城に幽閉された際に、家臣たちが一致団結することを夫人・光(みつ)の前で誓った《黒田家家臣連署起請文》1578年11月5日が出ていた。 その時に牢の見張役だった加藤重徳は後に官兵衛に遇されたとのことであるが、この加藤重徳所用の《朱塗天衝》も展示されていた。 実際に商人に化けて救出に向かった3人のうち、栗山利安(善助)と井上之房(九郎右衛門)の像は出ていたが、もう一人の母里太兵衛(友信)の像や彼が福島正則から呑み取った槍《日本号》が出ていなかったのは残念至極だった。 以前にも見た《黒田二十四騎像》やその一員・桐山信行が秀吉から頂戴したという《金瓢箪頭立蟹爪脇立六十二間星兜》にもお目にかかれた(↓左)。 ![]() ![]() 信長が官兵衛の心変わりを疑って人質となっていた官兵衛の息子・松寿丸(後の黒田長政)を殺そうとした時に、これを助けた竹中半兵衛(重治)の像、半兵衛が秀吉から頂戴した《唐物茶壺・蓮華王》、半兵衛の命で松寿丸を匿った半兵衛の家臣・不破矢疋の像も出ていた。 秀吉の「三木の干殺し」といわれる別所氏兵糧攻めの様子を描いた《播磨三木合戦図》3幅、兵庫県立歴史博物館は、説明図パネルがあったので理解しやすかった。 3章 秀吉を天下人に ここには《明智光秀坐像》京都・慈眼寺や《天正十壬午歳六月二日本能寺二条城討死死衆合祀牌拓本》京都・阿弥陀寺さらに《本能寺出土遺物 焼け瓦》など「本能寺の変」のリアルワールドの他に、《賤ヶ岳合戦屏風》↓も出ていたが、細部にわたる説明図がないのは残念だった。 ![]() 官兵衛は当主の座を嫡子長政に譲った後も、秀吉の小田原城攻めに参加しているが、小田原城攻めに関しては、秀吉が伊達政宗に宛てた《豊臣秀吉朱印状案》や《小田原陣陣立》などの資料が出ていた。 官兵衛はこの合戦を終結に導く役割を務めたことに対して、敗軍の将である北条氏直が感謝し、御礼として官兵衛に贈った法螺貝↓や国宝の《太刀名物「日光一文字」》↓↓が出ていた。 この太刀の刃文の高低の変化に富んだ「大丁字乱れ」をしばらく眺めていた。私は武器である刀剣を見る趣味はないのであるが、このような美術品として優れたものを見ると、あまり毛嫌いする必要もないかな?という気にもなってくる。 ![]() ![]() 秀吉の朝鮮出兵に際して官兵衛は軍監として肥前名護屋城と朝鮮半島の間を往き来していたが、秀吉の許可なく帰国したため秀吉の勘気に触れ、死を覚悟するまでに追い込まれた。 そこで出家して如水と名乗り、遺言状ともいうべき《黒田如水覚書》1593年8月9日↓を残している。その翌日の8月10日の《豊臣秀吉朱印状》で処刑を免れているが、この時は実に間一髪の危機であったことがよく分かる。 ![]() 秀吉没後の関ヶ原の戦いでは、長政は関ヶ原、官兵衛は九州において西軍と戦い、父子ともども家康の勝利に貢献した。 戦後、黒田家は筑前の太守となり、初代藩主・長政に対し、官兵衛は藩祖と呼ばれている。官兵衛は新たな封地を「福岡」と命名し、福岡藩二百六十年の礎を築いた。 5章 文雅のたしなみ 官兵衛は、文武両道の人だった。 《芦屋梅松文甑口釜》↓は官兵衛が吉川広家に贈ったものであり、《千利休自筆書状》1590年12月4日や《御茶堂之記》1599年正月も展示されていた。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら 「附記」 今晩のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」は、いよいよ【有岡、最後の日】。妻子を見捨てて城を離れる荒木村重、処刑されることになる妻・だし、乳母の機転で生き延びて絵師となる岩佐又兵衛に注目!
by cardiacsurgery
| 2014-06-01 11:31
| 国内アート
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