記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
フォートリエの作品を初めて見たのは大原美術館だった。1992年10月に岡山に滞在した時のことだが、仕事の関係で家内と私は別の日に倉敷を訪れた。その時の記録はホームページ「美術散歩」に残っている(こちら)。
フォートリエの《人質の頭部》というタイトルのその画は、青い背景の中に浮かび上がる石膏像のようだったことを覚えている。大原美術館にはその後何回か訪れており、その画は今回の展覧会にも出展されていて再会することができた↓。 「人質」という穏やかならざるタイトルは、これらの作品の制作年が1944年であることからわかるように、第二次大戦中のパリ占領下のドイツ軍に捕らえられたレジスタンスの悲惨な姿である。彼自身もゲシュタポに追われて潜伏していたが、反ナチスの医師ル・サヴルーの援助で得られたアトリエの近くにはフレーヌ監獄があり、そこではドイツ兵がレジスタンスの人質たちを銃殺していたとのことである。 戦後、「人質の連作 フォートリエの絵画と彫刻」展が開かれ、46点の絵画(《人質の頭部》というタイトルを持つ画は33点)と3点の彫刻が展示されて、フォートリエは一躍有名になった。 今回の展覧会には、その中から10点の油彩画、2点の彫刻が出展されており、関連の銅版画7点とともに、今回の展覧会のハイライトとなっていた。 戦争の実体験のない世代が政治の中心となり、「いつか来た道」を歩み始めようとしている現代人こそ、「歴史は繰り返す」という箴言を思い出しつつ、これらの「人質の顔」を凝視する必要があると思う。 今回の展覧会はフォートリエの回顧展であるが、若い頃には《管理人の肖像》1922年、ウジェーヌ・ルロア美術館蔵、トゥルコアン(↓)のような驚嘆すべき写実絵画を描いていた。 戦後のフォートリエは、美術評論家のタピエによって、デビュッフェやヴォルスとともに「アンフォルメル」の先駆者とされ、美術史上の地位を不動のものとしていった。 戦後のフォートリエの作品は「抒情的抽象画」の名に相応しい作品が多かった。彼の「オブジェ」シリーズや「裸体」シリーズでは、現実と抽象との連絡が幾らかは残っていたが、晩年の《黒の青》1959年、個人蔵(↓)を見ると、現実からは相当離れてしまった作品となっている。 とにかく 一見の価値がある回顧展です。会期は7月13日まで。 会場の最後には、いつものようにSTGのコレクション展示があった。 今回は堂本尚郎の《流星》1974年と《蓮池》2004年が出ていた。前者は朱色の空を斜めに銀色の流星が流れ、後者では睡蓮の緑の色彩が眼に飛び込んできた。これこそ「抒情的抽象画」ではないか」と思った。 会場で、旧知の方と遭遇し、互いに久闊を序しあった。フォートリエのお蔭だったのかもしれない。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-05-25 14:27
| 現代アート(国外)
|
ファン申請 |
||