これは「徒然草と兼好法師@金沢文庫」の第2報(第1報は
こちら)であるが、ここでは鍬形蕙斎の《徒然草屏風》だけを取り上げて、屏風に描かれている図像の物語を個別に述べていくことにする。
右隻↓には、第10段・236段・8段・68段・53段・206段の「徒然絵」が描かれている。
・右隻第1扇「徒然草第10段」: 寝殿の屋根の上の空を鳶が舞っている。とら曰く「
有害と有益は紙の裏表」。
後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂どのの棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。
・右隻第2扇「徒然草第236段」: 社の獅子と狛犬は後ろ向きになっている。とら曰く「
後人恐るべし」。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
・右隻第3扇「徒然草第8段」: 女の脛を見た久米仙人は神通力を失って墜落。とら曰く「
色即是空也」。
世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
・右隻第4扇「徒然草第68段」: 万病の薬と信じて日々食べていたいた大根の援け。とら曰く「
信ずる者は救われん」。
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。
・右隻第5扇「徒然草第53段」: 酔って鼎を被って踊る僧。後で抜けなくて困ることも知らずに。とら曰く「
酒と女は二合まで」。
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。
・右隻第6扇「徒然草第206段」: 館に牛が登ってきてしまった。とら曰く「
責任追及は控えめに」
徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に、官人章兼が牛放れて、庁の内へ入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。わう弱の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。
左隻↓に描かれているのは、第18段・41段・9段・184段・221段・109段の「徒然絵」。
・左隻第1扇「徒然草第18段」: 物欲のない男たち。とら曰く「
言うは易く、行うは難し」。
人は、己れをつゞまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。
・左隻第2扇「徒然草第41段」: 込み合った馬場の近くを避け、樹に登って競馬を見ながら眠りこける男。とら曰く「
易き所は危うし」。
五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、ことに人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。かかる折に、向ひなる楝の木に、法師の登りて木の股についゐて物見るあり。とりつきながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠にさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、みな後を見かへりて、「ここに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。
・左隻第3扇「徒然草第9段」: 女の髪は象をもつなぐ。とら曰く「
恐ろしきは愛欲」。
まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。 されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。
・左隻第4扇「徒然草第184段」: 障子の破れ目を自分でなおす北条時頼の母。とら曰く「
先ず隗より始める質素倹約」。
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるゝ事ありけるに、煤けたる明り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀して切り廻しつゝ張られければ、兄の城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、某男に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ」とて、なほ、一間づゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥かにたやすく候ふべし。斑らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後は、さはさはと張り替へんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難かりけり。 世を治むる道、倹約を本とす。
・左隻第5扇「徒然草第221段」: 昔の葵祭の出し物に使った質素な布の馬。近年は華美になりすぎている。とら曰く「
贅沢は節度を持って」。
「建治・弘安の比は、祭の日の放免の附物に、異様なる紺の布四五反にて馬を作りて、尾・髪には燈心をして、蜘蛛の網書きたる水干に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志どもの、今日も語り侍るなり。 この比は、附物、年を送りて、過差殊の外になりて、万の重き物を多く附けて、左右の袖を人に持たせて、自らは鉾をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。
・左隻第6扇「徒然草第109段」: 樹から下りてくる際には、下部こそ危険。とら曰く「
安心と思う心に落とし穴」。
高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
美術散歩 管理人 とら