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今日は「昭和の日」。明日から天気が崩れるというので、思い立って練馬区立美術館に行ってきた。副都心線ができて、自宅からこの美術館まで、1時間以内に着く。具体的には、自宅を9時15分に出たが、中村橋駅に着いたのは9時55分。美術館の開館時間10時に滑り込んだ。
桂月の経歴は下記の通り。 1876年、山口県萩の生まれ。1893年、上京し野口幽谷に入門、南画を学んだ。1896年、日本美術協会展に初出品、2等賞となる。1898に幽谷の没後はほぼ独学で絵の道を進んだ。1902年に画塾を開設。1906年には山岡米華らと日本南宗画会を設立。1908年、第2回文展に初入選。以降、文展、帝展、日展などに出品を続けた。1939年、ニューヨーク万博に《春宵花影》を出品。1932年に帝国美術院会員、1937年に帝国芸術院会員、1944年には帝室技芸員となった。1960年の日本南画院の設立にあたり会長に就任。南画の表現に新たな世界を開拓し、南画界の重鎮としての地位を確立した。1958年、文化勲章を受章。今回の展覧会は、時代順に3章立てとなっていた。以下、これに従ってお気に入り作品を挙げていくこととする。 第1章 若き日の桂月 1876-1918 ・《怒濤健雕》 1987年 個人蔵↓: 堂々たる鷲。 ・野口幽谷《海鶴蟠桃》 1889年 田原市博物館: 桂月の師・幽谷の花鳥画。 ・松林桂月・雪貞《不老長春》1914年 毛利博物館: 夫妻の協同作品。右幅は夫・桂月が描いた「松」、左幅は妻・雪貞が描いた「薔薇」。 ・松林雪貞《雁来紅朝顔》 1915年 山口県立美術館: 雁と葉鶏頭を描いた美しい画である。桂月と雪貞は同門で、雪貞(1880–1970)は花鳥画に優れていた。桂月23歳の時に二人は結婚し、その後は雪貞は主に夫・桂月を支えていたが、今回出ていた雪貞の作品はいずれも見事だった。 ・松林雪貞《菊》 昭和中期 個人蔵↓: 白菊と黄菊を描いた美しい画。 第2章 最高潮の桂月 1919-1945(大正-戦前) ・《伏見鳥羽戦 大下図》 昭和初期 個人蔵(↓左): 聖徳記念館の明治天皇・昭憲皇太后事績画80点の一つである《伏見鳥羽戦》(↓右)の大下絵。最後の長州藩主の長男・毛利元昭に依頼されたもので、桂月ははりきって準備をしたとのこと。大下絵の人物には修正した跡が残っている。 ・《長門峡》 1951年 個人蔵↓: 深林の暗さと水に映る光の輝きのコントラスト。 ・《虎》 1955年 個人蔵: 本人としては不得意な動物画とのことだが、なかなかどうして上手いと思った。 ・《雨後》 1955年 個人蔵↓: 雨上がりのしっとりとした葡萄の枝。 また、池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂、田能村竹田、渡辺崋山、田崎草雲に代表される江戸時代の南画が、渡辺崋山→椿椿山→野口幽谷→松林桂月という血脈で昭和時代まで繋がっていたということを認識した(参考)。 大きな作品が多いので1時間で見て回れた。自宅へ帰ったのは12時10分。昼食も自宅で摂れた。 13時には猫派の家内が孫娘を連れて松涛美術館に「ねこ・猫・ネコ」を見に行ったが、「とら」はそちらはパスして昼寝と決め込んだ。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-04-29 21:33
| 近代日本美術
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