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![]() 考えてみれば、第1回印象派展が開かれたのが1874年であり、ジャポニスムを引き起こしたパリ万博が1867年・1878年とほぼ同時代であるから、ジャポニスム陶磁器と印象派陶磁器がほぼ同時期に流行したことは不思議ではない。 第1回印象派展から100年を経た1974年、「セラミック・インプレッショニスト Céramique Impressionniste」という展覧会がパリで開催された。ここでは印象派絵画のような筆致で装飾された陶磁器と印象派絵画との関連が改めて注目を浴び、作品群は「印象派の陶磁器」と称され、その芸術性の高さが認知されることとなった。 この展覧会では、アビランド社コレクションを中心に、印象派時代の陶磁器がモネやルノワールといった印象派の絵画も含め合計155点展示されていた。 ジャポニスム陶磁器と印象派陶磁器という二つの流行を先導したのは次の4人の男たちである。 ・フェリックス・ブラックモン(1833-1914): 浮世絵版画の知識のある版画家 第1部 テーブルウエアの大革命 -フェリックス・ブラックモンの《ルソー》シリーズとジュール・ヴィエイヤール工房: 《ルソー》シリーズは、フランス陶器における最初のジャポニスムの作品である。パリで食器製造販売業を営んでいたフランソワ=ウジェーヌ・ルソーは、1866年に銅版画家のフェリックス・ブラックモンにディナーセットの装飾デザインを依頼した。ブラックモンは、《北斎漫画》や自身のオリジナルの図柄をモチーフとして図案を描き、銅版に彫って黒インクで印刷した。職人たちがこの印刷シートを図案ごとに裁断して器に配置し、絵付けした。これらは《ルソー》シリーズと呼ばれ、1867年のパリ万国博覧会で好評を得て、1930年代後半まで製作されロングセラーとなった。 ![]() ↓は撮影許可のあった《ルソー》シリーズ(クレイユ・モントロー陶器工場、ブラックモン、ファイアンス陶器、1867年) 4人用のカジュアルセッティングの写真。 ![]() ![]() 第2部 アビランド社の硬質磁器における革命-オートゥイユ工房のデザイン: 1842年の春、アメリカ人のダヴィッド・アビランド一家が、フランスの磁器産地、リモージュにやって装飾工房を設立し、さらに数年後には独自の磁器工場を建てた。↓は《海草》シリーズ(アビランド社リモージュ、パランドル、磁器、1874年) 6人用のティータイムセッティング。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1870年から71年の普仏戦争の頃、ブラックモンは新しい技術を持っていた陶芸家エルネスト・シャプレと出会い、シャプレは1876年にはオートゥイユ工房で「バルボティーヌ」による作品製作を開始することとなった。 ![]() ![]() ![]() 1) 炻器-アビランド社ブロメ通り工房 シャプレは炻器の窯元をいくつか訪ね、アビランド社の許可を得てヴォジラールのブロメ通りに工房を設立した。炻器は農場で日常的な道具として使われていたものであったが、シャプレは、細かくふるいにかけた酸化鉄の豊富な土を選び、作品を型に入れてからろくろで回すことにより厚みを薄くする技法を取り入れたうえ、釉薬を使わず土の色を生かそうとした。これらの焼締陶器は、1884年のなかば、ボストンとパリの展覧会で批評家から高い評価を受けた。侘び寂びというジャポニスムの表現と受け取られたのかもしれない。また、1885年初めにはこれらの型を使い、リモージュの磁器工場で絵付磁器の花瓶がつくられた。 ![]() フランス語で「牛の血の色」と呼ばれている銅紅釉は、18世紀初めに中国で完成されたものであるが、シャルル・アビランドは、1883年に、自ら所蔵する中国の陶磁器の複製を依頼するために、化学に詳しいル・ブラン・ド・ラボを雇い入れた。銅紅釉は、ナトリウムやカリウムのようなアルカリ度の高い酸化物と少量の酸化銅と酸化アルミニウムの混合物であり、高温で酸化状態では釉薬は緑色に発色し、還元状態では赤くなり、また、酸化アルミニウムを釉薬に加えて焼くと液状に溶け流れやすくなる。このように釉薬と焼成の調整が極めて難しい研究に取り組んだシャプレは、1885年3月にようやくそのコツを見つけた。 ![]() なかなか良い雰囲気の展覧会だった。お勧めです。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-04-15 10:29
| 印象派
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