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![]() 会場に入るや、《明庵栄西坐像》鎌倉時代・13~14世紀、神奈川・寿福寺蔵 が待っている。極端に頭が大きいことに驚かされるが、頭を使いすぎて長くなってしまったという眉唾な説もあるらしい。 ![]() 序章 禅院の茶 日本への喫茶の伝来については、奈良時代末期から平安時代に遣唐使などを通じて餅茶による煎茶法がもたらされていたが、抹茶を用いた点茶法が日本で普及するのは、日本での最初の茶書である「喫茶養生記」を著した栄西の功績が大きいとされている。 建仁寺では、その開山である栄西の生誕を祝して、毎年4月20日に「四頭(よつがしら)茶会」が行われている。 今回の展覧会場には、この茶会を行う方丈の設えが再現されていた。方丈の正面には、中央に栄西の頂相、その左右に龍虎図が三幅対として掛けられ、前卓の上には三具足(花瓶・香炉・燭台)と天目台が載せられていた。 ![]() 客は、あらかじめ抹茶が入った茶碗を載せた天目台を捧げ持ち、そこに4人の法衣をつけた供給(くきゅう)僧が正客から順次、浄瓶(じんびん)の湯を注いで点茶してまわるのである。 このように点茶の原型ともいうべき「四頭茶会」が、現在も建長寺で実施されていることは驚きでもある。 第1章 栄西の足跡 栄西は、14歳で比叡山において受戒し、天台と密教を学んでいるが、1168年、28歳で第1回の入宋を果たし、天台山に登った。 5月間の滞在から帰国した後の栄西は、比叡山、備前・備中、博多へと活動の場を広げ、多くの著述活動を行っている。 38歳の栄西が、1178年の博多・誓願寺の盂蘭盆会で書いた国宝《誓願寺盂蘭盆一品経縁起》↓は、華麗な舶載の料紙に書かれた黄庭堅風の闊達な筆致の書。 ![]() 当初は禅宗を広めようとしたが、天台宗からの排斥を受けたため、真言宗の印信を受けて既存の仏教勢力との共存を計った。 60歳の栄西を鎌倉の北条政子が寿福寺に開山として招き、62歳の時には、源頼家の庇護のもと、京都に建仁寺を建立した。さらに、66歳で、重源の後を受けて、東大寺大勧進職に就いている。 《喫茶養生記》は、1211年、栄西71歳の時に、茶の持つ延命効果を著した本で、今回はそのもっとも古い写本と1212年に書きなおされた本の17世紀の版本が出ていた。後者は乎古止点・返り点が付いた読みやすい漢文なので、展示部分を読んでみた↓。 ![]() 喫茶養生記 巻之上という具合である。 第2章 建仁寺ゆかりの僧たち 栄西の後継者たちもしばらくは禅密兼修であったが、第11世住持の蘭渓道隆以降は純粋禅の寺になった。歴代の頂相・坐像・墨蹟・袈裟などが多数陳列されていた。 この中で目を引いたのは、制作年の知られる女性単独肖像画である《総持正傑大姉像》1379年である↓。像主は豊後に禅宗文化を根付かせた大友貞宗の夫人とのことである。 ![]() 建仁寺は、応仁の乱や三好・細川の争いによる戦火で荒廃したが、安国寺恵瓊の努力による再建で復興した。建仁寺の方丈は六室構成であるが、仏間を除く五室に海北友松の障壁画が描かれた。 今回は、そのうち《竹林七賢図》室中↓、《琴棋書画図》衣鉢の間、《山水図》檀那の間、《花鳥図》書院の間、《雲龍図》礼之間↓↓が展示されていた。これらはすべて展示換えがあるので要注意である。 ![]() ![]() ![]() ここでは、 ・《十六羅漢図》高台寺・建仁寺などの名品がテンコ盛りだったが、トリを飾っていたのは5年ぶりに登場する俵屋宗達の国宝《風神雷神図屏風》建仁寺だった。 ![]() 美術散歩 管理人 とら 【追記】 後期の記事はこちら
by cardiacsurgery
| 2014-03-28 00:01
| 国内アート
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