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これは東京に春一番の吹いた日のこと。東博で恒例の「博物館で花見を」を見るために上野に来たのだが、途中この展覧会の立て看板が出ていたので、一応写真を撮っておいた。
寒緋桜と寒桜の咲く東博の庭の時計を見ると、午後2時半を回ったところだったので↓、科学博に回ることとした。 第1章: 病はいつの時代も、身分の貴賤なく、人々を襲う。第1章では、病に苦しむ大勢の人々の様子を描いた何枚かの浮世絵が印象的だった。 第2章には、「医は仁術」の基になる「神農」や「ヒポクラテス」の肖像画がいくつも出ていた。 漢方医を中心とする時代の医学界においては「五臓六腑説」が信じられていた。五臓とは、肝、心、脾、肺、腎、六腑とは、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦のことであり、五臓は精気の貯蔵・分泌・生成を行い、六腑は五臓の補佐をしながら、消化・吸収・排泄などの生理機能を営んでいるとされていた。↓は、会場に展示されていた《五臓六腑図》。 1)山脇東洋の解剖図誌: 古方派の一人であった山脇東洋は、カワウソの解剖から、五臓六腑説に疑問を抱いていたが、1754年に京都の六角獄舎において行われた日本最初の人体解剖に立ち会い、その時の記録を5年後の1759に「蔵志」として出版した。そして、その掲載図↓によって五臓六腑説による身体機能認識の誤りを指摘した。 山脇東洋は、人体解剖には抵抗が強い吉益東洞らの古医方からの批判を浴びたが、これは蘭書の正確さを証明したものであり、杉田玄白や前野良沢らがオランダ医学書の翻訳に着手することに繋がていった。 2)杉田玄白らの解体新書: これは、ドイツ人・クルムスの著書「解剖医書」をオランダ語に訳した「ターヘル・アナトミア」の日本での翻訳書。 1771年 3月、 江戸千住骨が原で行われた刑死人の腑分けを見た杉田玄白や前野良沢が、実際の体内がこの本に載っている解剖図と同じであることに驚愕して、翻訳を志した。 当時、オランダ語の辞書がないため、意味がわかっている単語を当てはめる「翻訳」、意味を考えながら訳す「義訳」、そして日本語にない単語をそのまま当て字にする「直訳」という3種類の方法で翻訳作業を進め、3年半の辛苦ののち1774年に完成した。この「解体新書」 は、 第1冊の序図篇で内臓諸器官が図示され、 第2~4冊の解説篇は漢文で記述されている。 3)華岡青洲の全身麻酔: 紀州の華岡青洲は「西洋では乳ガンは小さいうちに摘出すれば完治する」という記事に触発されて麻酔薬の開発に着手し、山野で薬草を集め、およそ20年にもわたる研究の末、動物への全身麻酔に成功した。 この麻酔薬の人体への応用については、母と妻が自ら申し出て実験台となり、度重なる劇薬の服用で母は衰弱死し、妻は副作用により失明した。 こうした大きな犠牲の上に、麻酔薬「通仙散」が完成し、1804年、華岡青洲は世界で初めて全身麻酔手術による乳ガン摘出手術に成功し、その後、脱疽、膀胱結石、痔、腫瘍摘出手術などにも成功した。華岡青洲は藩医登用を辞退して、全国から和歌山にやってくる患者の外科治療を続けた。 《華岡癌着色図》↓や《華岡青洲腫瘍図》↓↓は、華岡塾の塾生による写本。塾で診察を受けた患者の病気の状態が描かれている。麻酔薬“通仙散”を使った乳癌の手術の図もあった。 5)種痘の浸透: 今回の展覧会には出ていなかったが、前述のTV番組では大きく取り上げられていたので、ここに述べておくこととする。 佐賀藩領内では1846年に天然痘が大流行したため、佐賀藩主・鍋島直正はオランダ商館長に牛痘苗の取り寄せを依頼した。これに応じて、ドイツ人医師オットー・モーニッケが来日した際に痘苗を持参してきた。これは接種しても感染しなかったため、バタヴィアから痘痂を取り寄せた。これを1849年7月に鍋島藩医・楢林宗建が自分の息子に接種し善感したため、翌8月には佐賀藩主・鍋島直正の当時4歳だった実子・淳一郎(直大)↓と庶弟・皆次郎も城内で接種を受けた。その後、この痘苗は日本の各地へ受け継がれていくこととなった。第5章には、大学東校(東京大学医学部)や順天堂医院の設立の経緯、第5章には内視鏡・CT・MRIなどが紹介されており、最後の部屋では鉄拳のパラパラ漫画シアターがあって「受け継がれる仁」が見られた。 終章の「医は仁術」に、「医は不仁の術だから、仁を為すように務めたい」という内容の書が出ていて深い感銘を受けた↓。 美術散歩 管理人 とら 【Twitter】 Art & Bell by Tora @cardiaccardiac 2014/03/21: 「JPタワ」ーの「ミュージアム・インターメディアテク」では「東大醫学‐蘭方医学からドイツ近代医学」をやっていたので覗いてみた。中身は科学博の「醫は仁術」続編というべきものだった。 pic.twitter.com/HE62rnLwPN
by cardiacsurgery
| 2014-03-21 00:01
| 国内アート
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