記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
![]() 私自身には、オルセーで見た《夢》や《悲しき水夫》の残像があり、西美や大原で心惹かれたシャヴァンヌ作品の記憶が残っており、今回の回顧展を期待していた。 以下、章別に話を進めていく。 第1章 最初の壁画装飾と初期作品 1859年代: シャヴァンヌは、1824年、フランスのリヨン生れ。イタリア旅行で、ジョットやピエロ・デラ・フランチェスカの初期ルネサンス壁画に感銘を受け、パリでアンリ・シェフール、ドラクロア、トマ・クチュールに師事し、シャセリオーの壁画に心酔したとのことである。 初期の油彩画としては、1848年の《アレゴリー》↓という建築家・牧師・文学者を描いた画が出ていたが、アカデミックなしっかりとした画だった。 ![]() 1854‐55年に、初めて兄の邸宅の食堂の壁画制作を行っているが、今回、その習作・春景色の聖ペテロの《奇跡の祈り》・夏景色のオリエンタリズム的人物を描いている《ルツとボアズ》・冬景色のノアの大酒のみを描いた《葡萄酒造り》・主人公たちが小さく遠景に描かれている《放蕩息子の帰還》が出ていたが、この頃から結構に上手い画を描いていたことが分かった。 第2章 公共建築の壁画装飾へ アミアン・ピカルディイ美術館 1860年代 ピカルディイ美術館の階段壁画装飾の縮小作品としては、《労働》と《休息》というワシントン・ナショナルギャラリーの対作品が印象的だった。 ヴィニヨン邸の壁画装飾としては、大原美術館でおなじみのニンフが葡萄の蔓を投げてペガサスを捉えようとしている《幻想》↓、女性の持つランプが印象的な《警戒》や《瞑想》が出ていた。 ![]() 第3章 アルカディアの創設 リヨン美術館の壁画装飾へ 1870‐80年代 カルナヴァレ博物館蔵の普仏戦争レジスタンスのパリ脱出を描いた《気球》とパリを離れたレジスタンスとの連絡をテーマとした《伝書鳩》はお気に入り。《伝書鳩》の上部に描かれている鷲はプロイセン。ポストカードを買ってきた↓。 ![]() 1870年の普仏戦争敗北はパリ市街に大きな傷跡を残し、パリ市民に大きな衝撃を与えた。物心ともに落ち込んだ敗戦後のパリを復興させるためにパンテオンの建築が計画され、ロランスやシャヴァンヌが壁画を描くこととなった。 今回の展覧会の壁画関連の作品にはその「下絵」もあったが、大多数は壁画制作後に画家本人が改めて制作した「縮小油彩画」であった。この縮小油彩画が残っているから、このような「壁画の展覧」が可能となっているのであり、画家の先見の明に敬意を表したい。パンテオンの「壁画の写真」をネットなどで見ることができるが、それらの写真には壁画の他に柱などが写りこんでいて、壁画の全体像を把握することは必ずしも容易ではない。このことを考えると、この縮小油彩画の価値はさらに高いものであるといえよう。 《聖ジュヌビエーヴの幼少期》↓と《聖人のフリーズ》はこのパンテオンの壁画縮小油彩画である。いずれも典雅な作品である。聖女ジュヌビエーヴは、5世紀の実在の人物で、信仰の力によってフン族アッティラの包囲からパリを守ったと伝えられている。パンテオンのある聖ジュヌビエーヴの丘に葬られたこの聖女はパリの守護者として親しまれている。 ![]() ゴッホはシャヴァンヌの作品を絶賛しており、ピカソはシャヴァンヌの壁画に心を奪われ、パンテオンで壁画を模写していたという。そしてピカソはシャヴァンヌのこのような空間表現や人物表現を青の時代の作品に取り入れている。普仏戦争敗戦のショックから立ち直り、産業革命の恩恵を受けて元気を取り戻したパリを描いた印象派の画家の対極に位置して古代の世界に逃避していたように見えるシャヴァンヌの作品は、このようにポスト印象派以降の画家たちに影響を及ぼしていったのである。 《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)》1885-87年頃は、1901年までに二枚に切断されていたものであるが、今回の展覧会では久し振りに両者が並示されていた↓。これは1885‐87年に制作されたアミアン・ピカルディ美術館階段壁画装飾であるが、普仏戦争以後の国の防備を象徴した槍投げの練習をしているピカルディの若者たちが描かれている。左図の槍投げの目標は右図の大きな樹。 ![]() ![]() ![]() オルセー美術館の有名作品《海辺の乙女たち》1879年頃に再会できた。 魅惑的な画である。 ![]() 第4章 アルカディアの広がり パリ市庁舎の装飾と日本への影響 1890年代 メトロポリタン美術館蔵の《羊飼いの歌》↓は理想郷アルカディアを描いたもの。それぞれの人物が無関係のように描かれている。アルカディアはお互いに干渉しない世界なのだろう。 ![]() ![]() ![]() なんとなく和んでくる展覧会だった。 島根県立美術館で制作されたビデオ映像「壁画に描いた理想郷 シャヴァンヌの世界」はとても良くできでいた。ソルボンヌ大学の壁画も出てきた。 ただし、見ているうちにアルカディアに入った気分にになるらしく、かなりの方が安らかな昼寝をされており、私も睡魔と戦っていたが、最後にシャヴァンヌが74歳で亡くなる直前1898年にパンテオンのために描いた《眠れるパリの街を見守る聖ジュヌビエーヴ》の画像が出てきて、急に覚醒した↓。 ![]() Bunkamuraでは、会場出口にアンケート用紙があり、下部の抽選番号を切りとって持ち帰ることになっている。 残念ながら、一度もこの抽選に当たって次回の展覧会へ無料入場したことがないので、最近はアンケートもお座なりのものとなっていたが、今回はこの回顧展の素晴らしさと観客の少なさのギャップが大きすぎるので、展覧会PRの方法改善についての「とら」の意見を書いてきた。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2014-01-06 00:02
| 国外アート
|
ファン申請 |
||