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これは最近の「江戸の狩野派展」@出光美術館と2008年の「没後100年橋本雅邦展」@川越市立美術館の間をつなぐ好企画だと考えて大宮公園まで遠征した。
![]() 実は、この博物館は初訪。大宮からの東武野田線にも初めて乗った。 ![]() ![]() ![]() 第1章 木挽町狩野家と橋本家前回の「江戸の狩野派」のブログ記事では、探幽・尚信・安信・常信というような画家別の記載としているので、今回もそれに倣って画家別とし、木挽町狩野家の弟子だった橋本家歴代の画家については、各師匠の項の後に入れ、「一字相伝」の字は赤字とすることとした。 ![]() 出ていたのは《出山釈迦図》天真寺蔵↓という伝統的な主題の画だが、あまり迫力は感じられなかった。ただし、有名な大名茶人の松平不昧の箱書があり、この画は木挽町狩野家と交流のあった不昧から天真寺に贈られたということが分かる。 ![]() 出ていたのは館蔵の《四睡図》↓。寒山・拾得・豊干・虎がユーモラスに描かれている。 ![]() 3.木挽町家8代・狩野栄信(ながのぶ、1775-1828): 伊川院と号する。 栄信の画は下記のように沢山出ていたが、これらを見ると栄信はかなり上手い絵描きである。 チラシやポスターのビジュアルとなっている鮮やかな群青を背景に使った中国風の《花鳥図》板橋区立美術館蔵↓左やきわめて大胆に描かれた《唐獅子図》館蔵↓右。 ![]() 4.惟信・栄信の弟子・橋本伊貞栄邦(いていながくに、生没年不詳) 見られたのは、《楼閣山水図(摸本)》東京国立博物館蔵↓ ![]() 養信たちが模写した《遊行上人縁起絵 第一巻》や《平治物語絵巻 信西巻》の摸本(いずれも東博蔵)が出ていたが、いずれも見事だった。 美しい《群鹿群鶴図屏風》板橋区立美術館蔵は、後期には左隻の「群鶴図」が出ていた。これは徳川将軍家所蔵の沈南蘋《鶴鹿図》(現在、東博蔵)を水戸藩主の依頼により制作した模作とのこと。 《源氏物語子の日図屏風》遠山記念館蔵は、鮮やかな彩色と細密描写に目を見張る。右隻↓は「初音」だが、後期には左隻の「若菜上」の源氏四十賀の場面が出ていた。これは徳川家定に嫁いだ鷹司家の有君の婚礼調度。 ![]() さらに養信は、↓のような工芸品に絵も描いている。「頼まれればなんでも」というプロの世界なのだろう。 ![]() 6.養信の弟子・橋本養邦(おさくに、生年不詳-1848): 伊貞栄邦の養子。 見られたのは《福禄寿図》静岡県立美術館蔵↓というユーモラスな画。 ![]() 出ていたのは、上掲の栄信の《花鳥図》に似ている《牡丹図》館蔵、《竹鶴図》個人蔵、養信との分担制作の《月日松竹梅図》個人蔵。 明治維新後に困窮した雅信の書状が何枚か出ていた。↓はその一つで、知行地であった樋ノ口村・石塚弥五郎宛の「米回送依頼状」。 ![]() 雅邦の作品は、2008年の「橋本雅邦展」で見たものが多かったので、サラリと見て回った。雅邦が勤めていた海軍省関係の資料や雅邦応援団の「画宝会」の資料も出ていた。 出展作多数なので一つ一つコメントはできないが、《三井寺》静岡県立美術館蔵↓のような象徴的な作品や《水中命中之図》東博蔵↓↓のような西洋画的な作品もあったが、大多数は《春秋鶴汀》安永寺蔵↓↓↓のような狩野派的作品だった。 ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-11-22 14:51
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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