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これは2013/11/08のこと。季節はずれの好天に恵まれ、二子玉川で昼食をとってから、タクシーで五島美術館に向かった。
五島美術館の茶室でお茶会をしたことのある家内が本日の主役。美術散歩の「とら」は、「宗達つながり」でなんとか面目を保っていた次第。 日曜美術館のイントロは、「光悦は日本のダ・ヴィンチと呼ばれるマルチアーチストだが、若いころは漢文・和歌・書などを勉強していて、芸術家としては40代から活躍する遅咲きである。光悦の回顧展は15年振りである」など。 第一部 本阿弥家と光悦: なぜか第2室から始まる。中央に光悦像↓が置かれていた。 この時代の京都の芸術家、長谷川等伯・俵屋宗達・尾形光琳・尾形乾山等は法華宗の信者だったが、中でも本阿弥光悦は、芸術・信仰の両面において中心的な存在だった。 光悦が家康から拝領した(あるいは追いやられていた)洛北・鷹峯の地に、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住して作った芸術村の地図も出ていたので、双眼鏡で「光悦通り」などの文字があるのを確認。 「寛政の三蹟」の一人とされる光悦の書の代表的なものがまず登場していた。 日蓮の《立正安国論》を光悦が楷書で書いたものは読みやすい。字の太細がはっきりしているのは空海や小野道風の上代様に学んだものらしい。 珍しい光悦の《扇面月画賛》は再見。所蔵先の畠山美術館のHPに説明がある。 今回は↑を含め、個人蔵3点(通期1点、前記1点、後期1点)、楽美術館蔵(前期)、サントリー美術館蔵(後期)の断簡が出展される。 同じく俵屋宗達とのコラボの《鹿下絵新古今集和歌絵巻断簡》については、以前に詳しく書いたが(参照)、今回は、 1.山種美術館、2.個人、3.サントリー美術館、4.五島美術館、5.所蔵者不明、6.MOA美術館、7.サンリツ服部美術館、8.MOA美術館、9.所蔵者不明、10.MOA美術館、11.個人、12.シアトル美術館という12断簡の中、 1=全期・巻替、3=前期、4=全期・巻替、6=前期、7=後期、8=後期、10=後期という7断簡が見られる。国内の美術館収蔵の全作品を前後期で見られるという絶好の機会である。 以前にアップした画像を再掲すると、山種美術館蔵断簡は↓(西行法師: こころなき身にも哀はしられけり 鴫たつ沢の秋の夕暮)、サントリー美術館蔵断簡は↓↓(藤原雅経: たへてやはおもいあり共如何にせむ むぐらの宿の秋の夕暮)である。 太い字と細い字は、躍動的な鶴の動きに合わせて配置されている。 筆は途中を紙片で締め上げた特殊なものを使っているため、一本の筆で太くも細くも自在に書ける。現在この筆を作れるのは藤野雲平氏のみである。 光悦の書には勢いがあり、自己を解放した自由な精神が刻まれている。 多数の《新古今和歌巻断簡》、《新古今集和歌色紙帖》、《新古今集和歌短冊帖》なども眼福。 今回初公開の《花卉鳥下絵新古今和歌巻》の竹林の部分では、竹の上下がカットされてクローズアップとなっている。字は絵を壊さないように配置してある。 第三部 陶芸: これはメインの第1室。照明が不十分で見ずらいのが難点。 中央には、釉の掛け方に工夫を凝らした楽茶碗が行列している。 光悦は楽家から土を送ってもらい、自分で手捻りし、釉薬をかけて、楽家の窯で焼成してもらっていた。 家内の説明では、光悦の茶碗の見どころは、①高台が低いものが多い、②見込が平らなものが多い、③立ち上がりがカチッとしたものが多い、④碁笥底のようなものが少なくない、⑤口造りが厚いものや波打っているものがある、⑥かせた部分を残して釉薬を掛けて景色としたものがある・・・という点。 最初は黒楽が8点。画像は、《時雨》↓、《雨雲》↓↓、《七里》↓↓↓。このうちマイタイプは《雨雲》。 《雨雲》の黒雲は、筆で釉を描きこんだ。《七里》を使って見ると、口縁には厚い所と薄いところがあり、半筒形でひどく飲みにくい。光悦は飲みやすさをを度外視して、造形にこだわっていた。 重文《赤絵茶碗 銘・雪峯》では、ひび割れにに対する金接ぎが強調されている。 白楽は《冠雪》のみ↓。 この他に、飴釉楽茶碗が2点、膳所光悦茶碗が2点出ていた。 重文《赤楽兎文香合》はカワイイ系。 第四部 漆芸 漆芸の制作は、書や陶芸と違い、プロである匠の技の世界。光悦の役割は、デザインだけだったのだろう。 重文《花唐草螺鈿経箱》は、青貝(すなわち鮑)細工の名品。双眼鏡で見るとその輝きが目の中に飛び込んでくる。ここに納められていた美しい経巻の由来は、光悦の書状に「道風之法華経一部十巻并箱机青会令寄進候 啓白 正月十三日 光悦(花押) 徳友斎 (封)本法寺 御役者 光悦 宿坊法雅坊 几下」と書かれていることから知ることができる。 国宝《舟橋蒔絵硯箱》は東博で何回も見ている蓋甲を高く盛り上げた硯箱。散らし書きの源等の歌(後撰和歌集)「東路 の 舟橋 佐野の 思い渡るを しる人そ なき」の中に省かれている「舟橋」という二字は硯箱の中央に斜めに張りつけた鉛板が見立てとなっている。橋の下には船。 ①盛り上がり: 厚さ10cmの板から刳りだしている。刀の鞘を作る木地師が関わっている。 ②鉛: 鉛は刀の鐔の装飾に使われていたので、刀剣に関する本阿弥家では鉛の使用はめずらしいことではなかった。鉛は沈んで黒ずんだマットな色なので、金銀とは違い「光らせない」という目的で使われた。類品であるMOA美術館蔵の《樵夫蒔絵硯箱》でも、着物には鉛が使われ、足には貝殻が用いられている。 ③デザイン: 秀吉の陣羽織や変わり兜、洛中洛外図舟木本に表れている桃山時代のダイナミズムの気分が光悦のデザインに反映されている。 第五部 出版: 光悦は「嵯峨本」と称される古活字本の出版に関与していた。 今回出ていたのは、《伊勢物語》↓、《伊勢物語聞書》、《源氏小鏡》、《方丈記》、《撰集抄》、《つれづれ草》、《新古今集抄月詠和歌巻:式子内親王》、《久世舞 三十六曲本》、《観世龍」謡本:大原御幸、海士、蟹・うねめ》、《三十六歌仙:小野小町・赤人》、《二十四孝》などである。 お勧めの展覧会です。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-11-08 21:11
| 国内アート
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