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私の美術散歩遍歴も大分年を重ね、興味の幅も絵画・彫刻は西洋⇒日本⇒東洋と広がってきた。当初苦手だった現代美術も若いブロガーの援けを借りて多少かじるようになった。写真について関心を持つようになったのは、数年前に偶然知己を得た高階秀爾先生から「これからは写真ですよ」と教えられてからである。
東京都写真美術館の展覧会や横浜美術館写真ギャラリーですこしずつ勉強を始めたが、まだまだこれからである。今回は、東京ステーションギャラリーで開催中の「生誕100年!植田昭治のつくりかた」の内覧会に招かれたので、昨10月11日に勉強に行ってきた。 この内覧会は15:30-17:30という時間帯なので、マスコミ以外の若い方の参加はちょっと難しいかもしれないが、夜の会を苦手とするわれわれ世代にとってはありがたい。沢山の旧知の方々にお目にかかることができた。 ![]() ↑の画像・右は帰りに頂いた本の表紙である。写真は《妻のいる砂丘風景》1950年。植田の植田たるところをもっとも如実に示す「演出写真」である。絵画のモデルのようにポーズをとる被写体をモダンな構成でまとめたものであるか、構成要素の雲・砂漠・人物の中にはそれぞれのリリシズムが潜んでいる。そして全体のコアとなっているのは前景に立つ夫人である。 ここに写っている夫人は典型的な抒情的大正美人で、植田が少年時代に愛読した雑誌の挿絵に出てきそうな容姿である。植田は22歳の時に紀子さんと結婚し、3男1女をもうけている。夫人は自らはもちろん、子供たちにもモデルとして参加させ、さらに夫の「演出写真」作品の出来栄えをチアアップすることによって植田の強い支えになってたようである。 植田は鳥取県の境港に住んでいた。同じ境港からは漫画家の水木しげるも出ている。植田の夫人も「ゲゲゲの女房」のような全面協力型の女性だったに違いない。 ちなみに頂いた本は通常の図録だと思って持ち帰ったが、見てみるとしっかりとした単行本で、著者は植田正治となっていた。もちろん執筆者は東京ステーションギャラリー学芸員・成相肇氏であり、発行者は安田洋子氏(植田氏のご長女)である。 作品は、以下のように展示されていた。年代順としては、ⅠとⅡが逆転している。 Ⅰ.1950年代‐1970: 「童暦」‐ディスカバー・植田正治 ![]() ・1950年の《案山子》: 植田の戦後初期の作品は1971年に刊行された「童暦」1955‐70に集約されているが、地方性豊かな愛すべき写真が揃っている。戦前の原版は戦争末期の疎開荷物とともに失われているので、この《案山子》は植田の初期作品の「地方性」を示す作一例として貴重である。 ・1948年の《風船を持った自画像》: 展覧会の冒頭を飾っていた作品である。逆光に立つ黒い人物は不動だが、風船や草に風の動きが表現されている。 ・1949年の《パパとママトコドモたち》: これは植田を代表する有名作品で、私も何度か拝見している。モデルは植田の家族全員で、撮影時の状況は会場の壁に大きな字で書かれていた長女の「綴り方 私の家族」で紹介されていた。場所は鳥取砂丘ではなく、近くの弓ヶ浜海岸とのこと。 フライヤー裏面・下段の写真についても、同様に左からそれぞれの感想を述べてみる。 ・1983年の《「小さい伝記」より》: 「小さい伝記」は、1974年から12年にわたって雑誌に載せたシリーズで、新作と旧作が入り混じった半生記のようなもの。このテントのような写真には、アンティームな魂が潜んでいるようだ。 ・1983年の《「砂丘モード」より》: これは誰もいない砂丘。「演出写真」の絶好の舞台である。空に浮いている帽子は、釣竿でぶら下げられてこの舞台に登場している。 ・1981年の《「白い風」より」》: ソフトフォーカスのカラー写真。「地方」のすがたを「演出」している点では以前の白黒写真の延長線上にある。「地方の風が白い」というのは植田の感性であろう。 1983年3月、植田70歳の時に、妻・紀子が死去し、落胆のためしばらく撮影ができなくなったが、次男の勧めでファッション写真を撮影するなど、その制作手法を変化させていった。 1984年、71歳の時には心筋梗塞に罹るも回復し、その後にビデオ撮影やカラー写真に取り組んでいる。 1993年に制作された花を大写しにした鮮明なカラー写真が展示されていたが、ジョージア・オキーフの画のような美しい写真だった。 2000年、心筋梗塞再発のため永眠した。享年78歳だった。 上記のように生誕100年を迎えた一人の写真家の一生を勉強させてもらった。個人的なことだが、小生の母親は植田と同じ大正2年(1913年)の生まれである。95歳で天寿を全うしたが、生きていれば今年100歳ということである。母親の戦争中の大変な苦労を知っているだけに、植田夫妻の戦時中のご苦労に思いをはせた。 写真に興味のある方だけではなく、広く美術に関心のある方にお勧めできる味の濃い優れた展覧会だと思います。 この展覧会は2014年1月5日(日)まで。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-10-12 10:31
| 映画・写真
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