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初日の東博「京都」展から、同じく初日の都美「ターナー展」に回った。
こちらもそれほど混んでいないが、ジックリと作品を見ている人が多いので、二列目を通って観賞時間を節約した。 この展覧会には、ロンドンのテート美術館を中心に合計116点のターナーの作品が出展されているが、例によって水彩画、スケッチブックが多く、油彩画は36点にすきない。 ターナーの「水彩画」についていえば、初期の作品は別格として、油彩画を描くようになってからのものも悪くはないのだが、油彩画ほどには力が入っていないものが多いので、今回はサラリと見ながら通り過ぎていくこととした。 もちろん自分で水彩画を描いておられる人にはターナーの水彩画は大いに参考になるのだろう。小さな水彩画にへばりついて見ておられる方も少なくなかった。 今回の展覧会の項目立ては 、Ⅰ.初期、Ⅱ.「崇高」の追求、Ⅲ.戦時下の牧歌的風景、Ⅳ.イタリア、Ⅴ.英国における新たな平和、Ⅵ.色彩と雰囲気をめぐる実験、Ⅶ.ヨーロッパ大陸への旅行、Ⅷ.ヴェネツィア、Ⅸ.後期の海景画、Ⅹ.晩年の作品という「年代別」と「テーマ別」を渾然一体とさせた分類だったが、ブログ記事としては書きやすい「テーマ別」で記述していくこととする。 1.ピスチャレスクな英国: 初期のターナーは、英国各地の名所旧跡の「絵になる風景」を探し出して「水彩画」として描いていた。その後、「油彩画」にも手を広げ、さらに「風光明媚な風景」を超えて、「自然の持つ壮大さ」を描くようになった。 *《バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨》1798年 油彩↓ 2.海景画: ターナーにとって「海」は生涯にわたる重要なテーマ。躍動感にあふれる波の表現や風をはらんで進む船の描写によって英国海軍の活躍を描いた作品は、戦争状態にあった当時の英国民の愛国心によって高く評価された。晩年になると、抽象絵画を思わせるような海景画も描いている。 *《スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船》1808年 油彩↓ *《平和―水葬》1842年 油彩(↓左)、《戦争、流刑者とカサ貝》1842年 油彩(↓右) ウィルキーは中東旅行の帰途、「オリエンタル号」の線上で発病して、1841年6月1日に死亡し、同日20時30分、ジブラルタル沖で水葬に付された。この画は、ターナーの詩「偽りに希望」の下記の一節とともにロイヤル・アカデミーに出品されたという。 真夜中のたいまつは汽船の舷側を照らし、勇者の亡骸は潮の流れに沈む今回、この画は対作品の《戦争、流刑者とカサ貝》(↑右)と並んで、八角形の額に収めて展示されていた。左の画像は正方形であるが、これはターナーが後に四隅の三角形の部分を描いてしまったからであるが、今回は八角形の額に収められていた。このあたりのことがキャプションでは説明されていなかったように思う。 ↑右の《戦争、流刑者とカサ貝》は、セントヘレナ島のナポレオンを主題にしたもので、ナポレオンは燃えるような夕日を背にして渚に立っている。この画に付けたターナーの詩は次のようである。 ああ!兵士の野営のような テントの形をしたおまえの貝殻が 血の海で唯ひとり --ー だがおまえたちは仲間たちと一緒になれる。セントヘレナ島に流されて孤独の日々を送るナポレオンは、小さな貝さえ自然の中で自由を手にしていることを慨嘆しているのである。 この両者は、「暗い色調 vs 明るい色調」あるいは「平和 vs 戦争」という対立軸で制作されたもののようである。この2点が一緒に展示された当時は困惑を招いたとのことであるが、正直言って私も戸惑いを覚えた。 3.イタリア旅行: 40歳以降、ターナーはイタリアを数回訪れている。特に、晩年はヴェネツィアに心を奪われ、繊細で美しい油彩画や水彩スケッチを多数制作した。 *《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》1820年 油彩↓ *《ヴェネツィア、嘆きの橋》1840年 油彩↓ 「嘆きの橋」とは、画面左のドゥカーレ宮殿と右の牢獄を結んでいる橋で、有罪宣告を受けた者が窓の外からヴェネツィアが見られる最後の場所であるということから、詩人バイロンが詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」で付けた名前であるが、ターナーはこの詩に霊感を得て描いたのであろう。 私はいまヴェニスの《嘆きの橋》に立つ かたえには宮殿 かたえには牢獄 魔術師のふる杖にこたえるかに 浪間からその楼閣は眼のまえに浮かびあがる*《チャイルド・ハロルドの巡礼-イタリア》↓ 英国に留学していた夏目漱石が、この作品に強い印象を受け、後に小説「坊ちゃん」の中にこの画のことを書いている(参考)。 あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。(中略) すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この島は、今でも松山市に残っている「四十島」のことである。 4.光と大気の描写: ターナーがたどり着いた最大のテーマは、光や大気を描き出すことであり、靄がかった大気の中に、すべてのものが溶け込んでいくような画風は、晩年になるほど顕著になった。完成された光の表現は、クロード・ロランの影響を乗り越えた、ターナー独自の世界である。 *《レグルス》1828年発表、1837年加筆 油彩↓ 5.大自然への畏怖の表現: 18世紀半ばのヨーロッパでは、大自然の猛威に対する畏怖を「崇高」と捉えるようになり、ロマン派の画家たちに影響を与えた。ターナーも、嵐の海やスイス・アルプスの峻厳な風景から「崇高」な自然を描出しようとした。 *《グリゾン州の雪崩》1810年 油彩↓ *《アンデルマット付近の「悪魔の橋」、サン・ゴッタルト峠》1802年 油彩↓ このターナー展は、全作品数は多いのだが、油彩画の数が少ないので、1時間で観賞を終了することができた。作品数が少ない「京都展」に2時間を費やしたのとは対照的だった。 以前にテートに行った時には、ロランとターナーの油彩画が多すぎて辟易したことを覚えているが、これほど油彩画の少ないターナー展もがっかりである。 1997年に横浜美術館で開かれたターナー展では、展示作品数102点中油彩画は35点だったが、今回の116点中36点、国内の美術館所蔵の2点を除くと114点中34点とほぼ同数である。もう少しどうにかならないものだろうか。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-10-11 10:49
| 国外アート
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