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日本には存在していない中国絵画の名品をこれほど揃って見る機会はまずないと考えられるので、ちょっと予習をして出かけ、会場ではジックリと見てきた。双眼鏡がとても役立った。 以下、前期に観た作品を章別に概述していく。 第1章 五代・北宋─中国山水画の完成 北宋時代になると、貴族に代わって、社会の中枢をにぎった士大夫たちが自らの感情を表現するために文人画を描きだした。 ・王詵《 煙江畳嶂図巻》: 王詵(おうしん)は、皇帝の妹を妻として迎えていたエリート文人。この図巻は北宋士大夫山水画を代表する名品で、徽宗皇帝が痩金体で題署を書いており、蘇軾もこの画を讃える詩を詠んでいる。水上に風景が幻想的に浮かび上がる美しい淡彩山水画である。舟や人物も描かれているが、あまりにも小さいので、双眼鏡を使っても発見するのに時間がかかる。 以前に東博で見た北宋の張択端が描いた《清明上河図巻》に匹敵する「界画」(定規を用いて描いた細密な画)であるが、両者ともに当時の産業の発展を如実に示している。《清明上河図巻》の場合には混んでいてゆっくりと見られなかったが、今回は比較的空いていたので双眼鏡でジックリと楽しむことができた。 1127年に、金に追われた北宋が南に逃れ、杭州に都が移して南宋となった。臨時の行在所(臨安)とも呼ばれたこの新しい都では、多くの宮廷画家が活躍し、詩情にあふれた魅力的な絵画が生み出された。 ・馬麟《楼台夜月図頁》 : 南宋の宮廷画家・馬遠の息子・馬麟が制作した院体画。月光に浮かび上がる楼閣、棚には白い花が描かれており(双眼鏡で確認)、月光と花の香りを表現している。 第3章 元─文人画の精華 モンゴル帝国が中国を支配する元時代になると、漢人の士大夫たちは政治的に迫害され、内面の自由を追求する文人画に自らの心情を託すようになった。 ・倪瓚《漁荘秋霽図軸》部分↓: 元末の混乱期に志を曲げず、高潔に生き抜いた「元末四代文人画家」の一人・倪瓚(げいさん)の作品である。簡潔な筆墨によって描き出された無人の山水は、倪瓚の内面の孤高を表しており、後の中国絵画の規範となった。 倪瓚や王蒙などの元末最高峰の文人画に対応できる日本の絵画は、長谷川等伯の《松林図屏風》だというのが、今回の展覧会企画者の意見。 ・銭選《浮玉山居図巻》: 銭選は、元の朝廷に仕えることを潔しとせず、隠遁してもっぱら詩書画を描いた。この画では、素朴な筆致で山水を描いている。橋を渡る老翁は本人の姿らしい。この画には沢山の跋が付いていて、全長10メートルに達している。ちなみに、乾隆帝の題跋は、最初のものが気に入らず、後で書きなおしたものだとのこと。 ・李士行《枯木竹石図軸》: 北宋から金に継承された李郭派様式の古めかしい画。 ・王冕 《墨梅図軸》: 王冕(おうべん)は、元末を代表する画家で、花鳥画を得意とした。展示されているのは「文人梅花図」。満開の梅の華麗な表現は、日本の南画家たちにも影響を及ぼした。 ・華祖立《玄門十子図巻》: 老子など十一人の肖像画。白描に淡彩を加えている。 ・夏永《滕王閣図頁》: 夏永は職業画家。定規を使って描いた建築画、すなわち「界画」。精緻な表現に驚く。 ・張遠《瀟湘八景図巻》 : 馬遠・夏珪に始まる南宋時代の表現が元時代にも残っていたということを示す例。 第4章 明─浙派と呉派 中国を統一した明朝の首都・北京で宮廷画家として活躍したのが「浙派」。 ・李在《琴高乗鯉図軸》: 李在は雪舟が明で師事したことで知られる宮廷画家。これはその代表作で、龍の子を捕まえてくるはずだったにもかかわらず、鯉に乗って帰ってきた琴高仙人とそれを岸から驚いて見ている人たちが、雄渾な筆致で描き出されている。このような風雨や激しい感情の表現は、「呉派」の文人画家たちには描くことのできない、「浙派」の特徴であるとされる。 浙派はその激しい筆法から「狂態邪学」と批判されるようになるが、その急先鋒に立ったのが「呉派」の文人たち。呉派は北京での生活に背を向け、江南の文化都市・蘇州を中心に、俗を嫌って清雅を求める生活を送っていた。 ・文徴明《石湖清勝図巻》: 文徴明は、蘇州で活躍した書家・文人画家で、「呉中四才子」の一人とも呼ばれた。このように繊細な筆使い(渇筆)と淡彩で春の長閑な湖の風光を描き出すことは、呉派の得意としたものだった。小さな人々の姿にも注目。友人同士が語らう構図は、当時の文人画によくみられている。 ・安正文《黄鶴楼図軸》: 明の宮廷画家。この画では、鶴に乗って去っていく仙人に気付いた人たちは空を見上げている。 ・呂紀《寒香幽鳥図軸》: 明の画院画家で、装飾的花鳥画を得意とした。筆墨法には浙派の影響が指摘される。林良の写意的な水墨による花鳥画に対し,「写生派」と称される。日本の絵画にも少なからぬ影響をあたえた。 ・沈周《有竹隣居図巻》: 沈周(しん しゅう)は、「呉派」を興し「南宋文人画中興の祖」とされている。また詩書画三絶の芸術家として評価が高い。生涯にわたって仕官することがなかった。展示されている図巻には、のびやかな江南の水郷が描かれている。 ・周臣《春山游蹤図軸》: 明の山水・人物画家。弟子の仇英・唐寅とともに宋代院体画に連なるという意味で「院派」と呼ばれる。「浙派」とは異なる精緻な筆墨技巧によって宋代院体画の空間表現を追求し、「呉派」文人画の展開に大きな影響を与えた。出展されている図軸は、松樹を中心に据えた堅牢な構図で、力強い皴法は南宋の李唐の影響を受けている。 ・唐寅《春游女几山図軸》: 明代の文人。書画が巧みで祝允明・文徴明・徐禎卿と並んで「呉中四才子」と呼ばれたが、他の3人とは異なり、官職につけなかった。展示されていた画は、唐の文人が隠逸する内容の詩を絵画化したもの。 ・仇英《剣閣図軸》: 明中期の画家。山水・人物・花鳥に長じ、沈周・文徴明・唐寅とともに「明四大家」と称された。四大家のうち唯一の職業画家。中間色を多用した色彩処理によって明代絵画史の一つの頂点を極めるとともに、呉派文人画の変容に大きな影響を与えた。展示されている画では、陝西から四川に抜ける険しい桟道を通る人々を見事に描ききっている。 ・陳淳《花卉図冊》: 明代の文人画家。文徴明に師事し、呉派隆興の一翼を担った。画は米法山水のほか没骨法の花卉画を得意とし、ことにその水墨による花卉は後の徐渭・八大山人ら写意派の先駆となった。 第5章 明末清初─正統と異端 浙派と呉派の争いは呉派の勝利に終わり、その後近代に至るまで画壇の主流は呉派と、その画風を発展させた董其昌ら「正統派」とよばれる画家たちによって継承されていった。 しかし明代末期になると、これらの正統派に背を向けた異端の画家たちが現れた。呉彬(ごひん)らは、呉派や正統派の典雅な山水に反抗した非常に個性的な画家たちで、「奇想派」と呼ばれている。 ・呉彬《山陰道上図巻》: 画像部分↓はクリックで拡大。これは北京のパトロンの大官・米万鏡のために奇想派の呉彬(ごひん)が描いた図巻で、畢生の大作である。春夏秋冬の山水が、うねるような構図と穏やかな色彩で描かれている。乾隆帝の跋が最初にあり、呉彬から米万鏡への言葉が最後の枠内に書きこまれていた。 ・惲寿平《花卉図冊》部分↓: 惲寿平(うんじゅへい)は、清朝初期を代表する花卉画家。輪郭をとらず淡い色面だけで描く「没骨法」による華麗な花卉画である。 ・董其昌《疎樹遙岑図軸》: 董其昌は、呉派を発展させ、正統派とも呼ばれた重鎮。「南北二宗論」によって、文人画家の南画は禅の南宗の「頓悟」に相当し、職業画家の北画は禅の北宗の「漸悟」に相当するもので、南画は北画に優れているという「尚南貶北論」を広めた。展示されていた画は、簡潔な山水であるが、横線を連ねる皴法は董其昌が憧れた董源(五代・南唐)の山水画に倣ったものである。 ・藍瑛《秋壑高隠図軸》: 明末・清初の画家で、当時の杭州画壇の領袖的存在。山水を得意とし、倣古主義にのっとり、装飾的画面に意を用いた。かつては浙派の殿将であるとされていたが、実際には必ずしも北宗に固執しておらず、最も私淑したのは南宗の黄公望だったとのこと。展示されていたのは山水画。 ・崔子忠《伏生授経図軸》: 個性派画家の一人。儒教の経典を焚書坑儒から守った「伏生」の前には、教えを乞いに来た若者が「伏生」の口述内容を筆で巻物に書き取っている。 ・朱耷《花鳥図冊》: 朱耷(しゅとう)は 「八大山人」と号した。王室生まれの明朝遺民。19歳時に明朝が滅びたため、一旦は出家したけれども、その後は清朝への抵抗を続けた。水墨花鳥画の形式を基本とし、花卉や山水、鳥や魚などを多く題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写を得意とした。展示されていたのは、薄墨の花鳥画。 ・石濤《細雨虬松図軸》: 石濤(せきとう)も、清初に活躍した遺民画人。明王室の末裔にあたり、八大山人と縁戚だった。髡残、弘仁とで「三高僧」、八大山人を加えて「四画僧」と呼ばれる。黄山派の巨匠で、その絵画芸術の豊かな創造性と独特の個性の表現により清朝きっての傑出した画家とされる。展示されていたのは、爽やかな色使いの山水。 信じられないほどに充実した展覧会だった。 日本の中国絵画コレクションは、東山御物の南宋院体画・禅宗絵画・道釈画を中心とするもので、今回展示されていた北宋絵画・元代文人画・呉派文人画などは日本ではほとんど見られないものである。 今回の展示だけで、日本に来ることのなかった中国絵画の流れを十分につかむことができた。通期展示の作品もあるが、後期だけに登場する作品もある。是非、後期にも訪れたい。あまり混んでこなければ良いのだが・・・。 美術散歩 管理人 とら 【註】 会場の説明パネルの内容はこちら。
by cardiacsurgery
| 2013-10-02 14:04
| 東洋アート
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