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第2章 京都から世界へ 1892-1908
この時期栖鳳は、歴史上の事象、同時代の京都の景観、骸骨などさまざまな主題に取り組んでいるが、その中には明らかに西洋画の表現を意識したものがいくつも見られる。西洋美術に肩を並べるという目的意識をもって伝統絵画の表現を見直した栖鳳の足跡である。 1900年にパリ万博視察のために渡欧し、各地で多数の西洋美術に触れた栖鳳は実物によって研究する必要性を痛感し、帰国後、動物やヨーロッパ風景を西洋絵画的な写実表現で描いた。栖鳳の目標は西洋画の「写生」に日本画の「写意」を融合させることであった。 6 富士川大勝 明治27(1894)年 東京国立博物館: 栖鳳30歳制作の歴史画。画像 7 百騒一睡 明治28(1895)年 大阪歴史博物館: 動物画。 10 観花 明治30(1897)年 個人蔵: 扇を持った骸骨が地上の花を観賞している。日本美術協会で出品拒否にあった作品。柴田源七が、俳人上島鬼貫の「煩悩あれば衆生あり骸骨のうえを粧て花見哉」の俳意に沿った作品を栖鳳に依頼。栖鳳は京都府立病院にあった老婆の骸骨標本を参考にした。 13 獅子 明治34(1901)年 個人蔵: 6隻2双の金屏風。右隻には寝ている雄ライオン、左隻には立っている雄雌ライオンの二頭。西洋の陰影法を取り込んでいる。 14 虎・獅子図 明治34(1901)年 三重県立美術館: 獅子の顔には影、タテガミには光を対照的に描写し、表情の強さを表現している。 20 洞天鳴鶴・仙壇遊鹿 明治37(1904)年 個人蔵 21 象図 明治37(1904)年頃 個人蔵: 右隻は正面からみたクローズアップ、左隻は側面から見た全体像で、陰影法を駆使している。背中には猿が乗っている。そのサルは2羽の鳥を指さしている。 27 雨霽 明治40(1907)年 東京国立近代美術館: 微風にそよぐ柳と樹の上で羽づくろいする一群の鷲と飛び去ってゆく一羽の鷺。画像 28 飼われたる猿と兎 明治41(1908)年 東京国立近代美術館: 利口なサルは飢え、従順なウサギは飽食。 M-09 写生帖(帰朝・獅子など)明治34~38(1901~05)年頃 京都市美術館 M-10 写生帖(飼われたる猿と兎など)明治41(1908)年頃 京都市美術館 ◆特集展示1:美術染織の仕事 万博への出品や販路の確保のため海外へ眼を向けていた京都の美術染織業界にも関わった栖鳳の仕事にスポットをあてたコーナーも設けられていた。 31 雪中蒼鷹図 明治26(1893)年頃 清水三年坂美術館: 下記M-11の刺繍の原画。茶色。 M-11 雪中松鷹刺繍(四代 飯田新七作、竹内栖鳳原画)明治27(1894)年 清水三年坂美術館 M-12 ベニスの月(四代 飯田新七作、竹内栖鳳原画)明治40(1907)年 大英博物館: 右図の原画は後期展示。薄い月明かりの部分と濃い影の対照をはっきりさせているが、これは西洋絵画に倣った陰影表現である。新しい日本画を創るという栖鳳の意気込みが見てとれる。 M-17/ M-18 出勤簿 明治22(1889)年10月・12月 髙島屋史料館: 当時、栖鳳は髙島屋意匠部に勤めていた。 M-19/ M-20/M-21 竹内栖鳳発信書簡 年代不詳 髙島屋史料館 美術散歩 管理人 とら 1「概報」、2「前期第1章」、3「前期第2章」、4「前期第3章」、5「前期第4章」、6「後期その1」、7「後期その2」
by cardiacsurgery
| 2013-09-11 09:27
| 近代日本美術
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