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速水御舟の作品を中心に、館蔵の再興院展の画家の作品を並べた「再興院展100年記念展」。この展覧会には、酷暑の中、家内が見に行ってきてなかなか良かったとの話だったが、軟弱な私は、涼しくなるのを待って、昨日見に行ってきた。
第1章「再興日本美術院の誕生」には、横山大観6点、下村観山2点、菱田春草3点が並んでいた(展示作品リストはこちら)。 この中では、陰影描写を西洋画に学び、構図は信貴山縁起絵巻を参考にしたと思われる下村観山《不動明王》の和洋折衷的な日本画が面白かった。このスパイダーマンのようなコミカルな画は、当時の日本画家の苦闘の跡でもある。 第2章「速水御舟と再興院展の精鋭たち」に登場するのは、速水御舟の29点が中心であるが、同門の今村紫紅、小茂田青樹の他、安田靫彦、前田青邨、奥村土牛、小倉遊亀などの作品が並んでいた。 以下、速水御舟の作品を中心に述べていく。 1913年制作の《錦木》は、芒の穂先の胡粉による丹念な描写に古典学習の跡が窺える作品。昔の奥州で女性に会いたい時には、その家の門に錦木を立てる風習があったのだが、この画の傍にはそういった説明はなかった。 1917年制作の《山科秋》(↓左)は、今村紫紅の多視点的新南画に影響を受けた作品となっている。実際に展示されていた今村紫紅の《早春》1916年(↓右)や小茂田青樹の《丘に沿える道》1920年が穏やかな池大雅風の作品であるのに対し、御舟の《山科秋》には大胆な色彩が溢れていて、フォービズムの影響を見てとることも出来る。その後、御舟自身、この画は黄土中毒・群青中毒だったと云っていたとのことだが、御舟は自分のスタイルを壊して新しいスタイルに移っていく積極性と勇敢さを兼ね備えていた。 1923年の関東大震災の惨状を描いた《灰燼》は全体が曇ったように描かれているが、なぜか画面が明るい。残ったビルの時計が正午を指していた。関東大震災は1923年9月1日11時58分32秒に発生したのである。この画の瓦礫はセザンヌの《石切り場》を彷彿とさせる立体の集合として描かれており、キュビスムへの志向が見てとれた。 1926年の《昆虫二題》↓は、装飾的・幻想的な象徴絵画である。右の「葉陰魔手」では蜘蛛の巣が拡がっていき、左の「粧蛾舞戯」では鮮やかな色彩の蛾の群れが渦の中に吸いこまれていく。タイトルから見れば、右が陰、左が陽であるが、描かれた生物の運命の陰陽は逆である。 一方、1934年の《あけぼの・春の宵》は見事な対作品で↓、私のお気に入り。 1935年の《盆栽花》は未完の作品であるが、極端な俯瞰構図を含む多視点の実験的な作品だった。この画の画稿も出ていた。未完の本画には、画稿にはない正面から見た雀が描きこまれていたが、その部分は白描のままとなっていた。 速水御舟の死因は腸チフスTyphus Abdominalis(独)=TA(略)。これは結核 Tuberkulose(独)=TB(略)とともに若年者の死因として恐れられていた病気である。現在ではいずれも薬で完治する感染症であるが、当時こういった病気で天才が早世することが多かったのである。まことに残念である。 第二展示室では、第3章「山種美術館と院展の画家たち」。 ここには有名な《炎舞》1925年が登場していた(↓左)。照明がLEDに変ったせいか背景の黒が濃くなってコントラストがさらに強調されていた↓。画家がこの画を描いた際の照明と美術館の照明と全く同じにすることは不可能であるが、御舟は背景にこのような深い闇を描いたのだろうか。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-08-28 16:27
| 近代日本美術
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