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後期には、ほとんどの展示品が展示替えあるいは場面替えとなっているので、もう一度見に行ってきた(前期の感想はこちら)。
前期にも気付いたことだが、5Fの序章・第1章・第2章と、4Fの第3章・第4章とは展示の雰囲気がかなり違う。これは、両階の担当学芸員が別人であるためらしい。 一般に谷文晁は『江戸南画』の大成者であるとされているが、「池大雅や与謝蕪村が南宗画を主体に北宗画を折衷して上方の南画を大成したのに対し、谷文晁は江戸に中国の北宗画を広めたのであるから『江戸南画』という名称自体が正しくない」という意見がある(安村敏信「江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす」敬文舎、2013)。こういった議論を踏まえて、上述のような説明になっていたのかもしれない。 《秋山訪陰図》には「披麻皴の柔らかさ」が表れているとされていた。ちなみに「披麻皴」とは、絡まった麻縄のような形。湿った柔らかさのある土や山を描くのによい」技法とのことである(「故宮100選 帝王の至宝」p35、2011)。 《米法山水図》という画が出ていた。「米法山水」とは、宋の文人画家、米芾・米友仁父子が始めた水墨山水画法で、輪郭線を用いずに、山の大体の形や木の枝幹を墨のぼかしで作り、その上に墨の点を重ねて描きあげる方法であるが、文晁のこの画はこういった米法の柔かさよりも墨の濃さが目立つ作品だった。 養子・谷文一が描いた画稿《谷文晁像》は、文晁が役職を退く時のものであるが、文晁が侍分であったことを今さらのように思いださせる格調高い姿で描かれていた。 淡彩の寛政文晁《浅緯山水図》↓左、中幅に西王母を描いた《亀臺金母、湖山冬晴、夏山飛瀑図》(↓右、再見)も良かった。 16歳の狩野派修練時代の雪舟《寿老》の模写、22歳時の南頻画《花鳥》は流石に上手かった。 第2章では、《涅槃図》名古屋市博物館蔵↓が面白かった。釈迦の右手を握る耆婆大臣と十大弟子が描かれていたが、完成図というよりスケッチといった趣の画だった。十大弟子の中の四人は色が黒いのですね。 《雪卯花図》桑名市博物館蔵では、塗り残した雪の表現が絶妙。 今期の《熊野舟行図巻》は巻下↓。 これは、石山寺に参詣した中原親能が、山城国和束に隠れている謀反人追討に勝利を収め、炎の中でまさに謀反人を斬首する場面を描いている。 燃え上がる炎は《平家物語絵詞 三条殿夜討巻》(ボストン美術館蔵)を、斬首する様子は《平家物語絵詞 信西巻》(静嘉堂文庫蔵)を参考にしている。 谷文晁・酒井抱一画/亀田鵬斎賛の《老梅図》↓では、二人が一本ずつ枝を描き分けている。ともに士分であった文晁と抱一は非常に気が合っていたらしい。 弟子の渡辺崋山の作品としては、今期は《蜀桟道図》が出ていた。 随分沢山の作品を見せてもらった。空前絶後の規模の「谷文晁展」なのかもしれない。担当学芸員にとっては、とても大変な大回顧展だったことであろう。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-08-03 12:51
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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