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第Ⅱ章 統合された地中海ーギリシア、カルタゴ、ローマ
1.ギリシア人の地中海(エジプトのヘレニズム化、キプロス島とフェニキアのヘレニズム化、北アフリカのヘレニズム化、タナグラ人形)紀元前4世紀にギリシア北部のマケドニア王国のアレクサンドル大王の東征によって、エジプトなどオリエント世界のギリシア化が進んだ。 エジプトのプトレマイオス朝は、マケドニアの軍人が開いた王朝である。 カエサルを愛人とし、絶世の美女と言われたクレオパトラは、プトレマイオス朝最後の王。エジプト王ながらギリシア人の彼女は、ギリシア風にもエジプト風にも造形化されているが、↑右の彫像は《イシス女神の姿で表されたエジプト女王クレオパトラ7世(在位前51‐前30年)》である。 キプロス島やフェニキア(現レバノン)には大理石像のようなギリシア芸術が伝えられ、フェニキアとカルタゴの支配下にあった北アフリカにも、ギリシアからの輸入によってヘレニズム文化の華が開いた。 ギリシア中部のタナグラで制作されていた「タナグラ人形」が、イタリアからトルコやエジプトに至るすべての地中海領域の墓地や聖域から出土しているが、これは模倣によって各地で生産されたものである。 現在のレバノンからフェニキア人がアフリカ北岸に達し、前814年にカルタゴを建設し、次第にその支配領域を広めて一大帝国を形成した。今回は、チュニジアから出土したガラスのペンダントやカルタゴの豊穣の女神タニトやポエニ語・ギリシャ語が刻まれた墓碑が出展されていた。 地中海の覇権をめぐり、ローマはカルタゴとの間に起こった「ポエニ戦争」に勝利を収め、前146年にカルタゴを壊滅させて、広大な帝国を築いた。そして地中海を「ローマの海」と自称したとのことである クレオパトラを滅ぼし、エジプトをローマに組み込んだアウグストゥス(在位前27‐後14年)の彫像断片、ギリシアと東方への遠征を行ったスペイン生まれのハドリアヌス(在位117‐138年)の胸像、シリアの王女を妻とし、帝国内にオリエントの神々への信仰を広めたリビア生まれのセプティミウス・セウレス(在位193‐211年)の胸像、皇帝ルキウス・ウェルス(在位161‐169年)の妻ルキッラの巨大な頭部の彫像が出展されていた。 南仏で見つかった《ローマの石棺:人間の創造とその運命を表すティタン族プロメテウスの伝説》↓は、泥土から人間を創造したギリシア神話のプロメテウスの物語を表したもので、神像が複雑に配置されていた。女神アテネ・伝令神ヘルメス・運命の三女神などが刻まれていたが、他の像についてもパネルで説明しておいてほしかった(参考)。 第Ⅲ章 中世の地中海ー十字軍からレコンキスタへ(1090‐1492) 1.ラテン国家(十字軍の時代、エルサレム王国、リュジャンニ朝キプロス王国、キプロス王国とエルサレム王国の貴族ジャン・ド・カフランの墓碑銘)地中海は、西洋と東洋の出会う場であると同時に、キリスト教とイスラーム教の交差する場でもある。 聖地エルサレムの奪回を旗印に始まった十字軍は、西欧キリスト教徒の東方遠征や巡礼と、それにともなって活発化した商取引により、以前にもまして大規模な異文化交流をもたらしたというのがこの展覧会企画者の歴史観であるが、十字軍の功罪については、イスラム世界からのみならず、多くの異論があるに違いない。 今回の展覧会では、東地中海沿岸に建国された十字軍国家の稀少な工芸品や東方の文化に由来する工芸やデザイン作品を観ることができた。 ↑中は、《恋する男女が描かれた杯:剣を振りかざす騎士とその恋人》。これは、第3回十字軍の際に、フランスのリュジニャン家がキプロス島に建国したカトリック王国に由来する品である。この独特の表現には、イスラムの技法の影響が見られる。 ↑右は、17世紀に描かれた《東方と西方のキリスト教会統一の象徴である教会を支える聖使徒ペテロとパウロ》。イエスのもとで、天国の鍵をもつ聖ペテロと聖パウロが教会を支えているこの図柄は、この二人を礎とした教会の統一を象徴するギリシア正教のイコン。これは、十字軍の影響でビザンツ帝国が衰退した後、イコン制作の中心地となったクレタで制作されたものである。 第Ⅳ章 地中海の時代ールネサンスから啓蒙主義の時代へ(1490‐1750年) 1.海洋国家ヴェネツィア十字軍後の地中海では、ヴェネツィアが強い海軍力をもって活躍したものの、一帯を支配して勢力をのばしたのは、ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国だった。 西欧の芸術家たちは、トルコ趣味の絵画や東洋市場向けの豪奢な工芸品を制作する一方、ギリシアやローマの神話や歴史を主題とした絵画の中に、想像上の地中海世界を描いている。 私自身は、このようなロココ趣味の作品は大の苦手なので、うんざりしてしまったが、一応画像をアップする。 ↑中の《煙草入れ》は、「西洋人のトルコ趣味」とは逆の「トルコ人の西洋趣味」を示す作品で、パリで制作されている。エナメル、金、ダイアモンドをふんだんに使った華美なものである。 美女クレオパトラのコブラの毒による自殺は芸術家に好まれた題材の一つ。↑右は、ヴェルサイユ宮殿の彫刻で知られるベルタンの作品である。 第Ⅴ章 地中海旅行(1750-1850年) 1.地中海紀行の始まり(18世紀のグランド・ツアー、シチリアの発見、イタリアの魅惑)18世紀の西欧では、イギリス貴族によるイタリアへの「グランド・ツアー」にはじまる旅行ブームやポンペイなどの遺跡の発掘の影響によって、地中海世界への憧れが高まった。 芸術家たちは、シチリアや南仏などそれぞれの地中海世界を体験し、さらに19世紀にはナポレオンのエジプト遠征や植民地化の動きを受けて、東方にまで足をのばした。この章には彼らの眼がとらえた作品群が展示されていた。 ↑中の《トロイア王子パリス》は、「ランズタウンのパリス」という通称を持つ有名作品。フリギア帽を被った若々しい青年は絶妙のバランスで表されている。しかし、下半身は華奢で力強さが感じられない。この像は、古代ギリシアの高名な作品のローマ時代の模刻で、ハドリアヌス帝の別荘から発掘されたたとのこと。 ↑右は、「ディ・ダルジェ」との通称を持つ《アルジェ太守、フセイン・イヴン・エルフセイン(1765-1833年)から、フランス王シャルル10世(在位1824-30年)に贈られた懐中時計》。すなわち、オスマン帝国支配下の最後の摂政が、フランス王に贈ったプレゼントである。製作したのは英国王妃の時計職人ダニエル・ド・サン=ルー。265個のダイアモンドが使われているとのこと。 彼の得意の風景画の抒情性は背景の岸壁・雲・海・船だけでなく、手前の悲しげな女性の象徴的な描写にもいかんなく発揮されている。♪ もおー届かない、送るリュート ♪ この女性がギリシアの海賊の娘だと知って驚いた。下記はネットからの引用。 セビリヤの貴公子ドン・ジュアン(=ドン・ファン)の乗った船がギリシアの島に漂着し、海賊の首領の娘ハイディに介抱された。二人は恋におちるが、ハイディの父親の逆鱗に触れて、ジュアンは捕縛され、コンスタンティノープルの奴隷市場に売られてしまう。画の中の船は、ドン・ジュアンを乗せて、コンスタンチノーブルに向かって出航していくところなのである。 今回の展覧会の感想をまとめると、以下の2点が挙げられる。 ① 地中海世界の古代史における新たな発見や見解が今回の展覧会に取り込まれており、個人的には大変勉強になる箇所があった。アルファベットの起源がその一例である。他方、歴史を勉強しなおさなければいけない点があることにも気づかされた。イスラームと地中海の問題などがそれである。 ② ルーヴルの「古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術」、「古代エジプト美術」、「古代オリエント美術」、「イスラーム美術」、「絵画」、「彫刻」、「美術工芸品」、「素描・版画」の8美術部門すべての横断的参加企画という今回の試みは、作品解説は薄くなってしまっているものの、個別作品を超えた各時代の姿を明らかにしていたという点では成功していたと思う。 美術散歩 管理人 とら 【註】 第1報、第2報、第3報 【註] プロメテウスの伝説が刻まれた石棺
by cardiacsurgery
| 2013-07-23 15:10
| 国外アート
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